@-8
「ああ、来ました」
──あれは、哲也君。
ボサボサ頭にうす汚れた洋服。それは昨日、会った哲也だった。
「ホラッ哲也ッ、遅れとるぞ」
高坂はにこやかに笑いながら、目の前を通り過ぎる哲也の尻をポンと叩いた。
哲也は何も云わず、階段を駆け上がると校舎の方へ消えた。
「16人、これで全部です。明後日には新1年生が3人入って来て19人になりますがね」
「全部で19人…ですか…」
東京で研修を受けた小学校は、ひとクラスで30人以上居た。
「河野さん。あなたには5、6年生7人の担任になってもらいます」
「わ、私がいきなり高学年生をですかッ!」
慌てる雛子に対し、高坂は笑って答える。
「逆ですよ。ある程度分別のつく高学年生の方が新任の先生にはむいてるんです」
「でも…私なんかに…」
「なあに、大丈夫ですよ。さっきあなたに挨拶していた大や公子、三郎、和美、ヨシノ。それに哲也は同じクラスですから」
「わあッ、そうなんですか」
雛子は声を弾ませた。が、すぐに心に引掛かることにより表情を沈ませた。
哲也のことだ。
「実は校長先生。昨日、私は子供達に会ったんですが…」
雛子は昨日の出来事を高坂に伝えた。特に哲也の件に関しては、気になる部分もあって詳細に。
「哲也君のことを聞くと、皆が口をつぐむんです。でも、これから彼を受け持つ立場としては…」
雛子の意見を聞いた高坂の顔から笑顔は消えた。
かわりに浮かんだのは眉間の深いシワと険しい目だ。
そして深く息を吐いた。
「…小作の子供なんですよ」
高坂は苦い顔でそう云った。
「…小作って…」
「父親は、出稼ぎ先の造り酒屋で亡くなった。あの子が6歳の時です。
それから、あの子の母親は、この村の庄屋である大田原の小作人として働き、わずかな給金で生計を立てています」
「そんなッ、明治や大正の頃なら分かりますが、昭和30年の今どき…」
感情混じりな雛子の言葉を高坂は右手で遮ると、
「戦争が終わって10年経っても、ここ美和野は、なあんも変わらんのですよ。河野さん」
そう答えた高坂の目は、哀しみを湛えていた。
──私は、なんて浅はかなのッ。
聞かされた現実。雛子は己れのバカさ加減に呆れ返ってしまった。
…「a village」?完…