エンジェル・ダストG-10
2日後。
「お呼びでしょうか?」
3日ぶりに仕事場に現れた李は、執務室に蘭を呼んだ。
「君に、香港に行ってもらいたい」
「香港に…ですか?」
「ああ、実は松嶋さんが亡くなった今、これは必要無くなった」
李はおもむろに、小さめのバックをデスクの上に置いた。
「彼から預かったハードディスクだ。廃棄するわけにもいかんから、これを私の知人に渡そうと思ってね。
先ほど五島さんに尋ねたら了承してくれた」
──これに、例の機密が…。
蘭の中に緊張が走る。思わず表情が硬くなった。
李は注意深く、蘭の変化を見つめてから、
「どうかしたのか?顔色が優れないが」
李の言葉に我に返った蘭。焦ることなく落ち着くと、頭を下げた。
「申し訳ございません。今朝から少し頭痛が…」
「大丈夫なのか?」
「先ほど頭痛薬を飲みましたから大丈夫です」
「そうか。では明朝にも発ってくれ。チケットは空港に、ホテルはペニンシュラに手配済みだ。
相手から連絡が入るから、指示に従ってくれ」
「分かりました」
李はそこでオフィシャルな顔を緩めた。
「祖国に帰るのは2年ぶりだろう、ついでに北京に寄って里帰りしてくればいい」
そう云うと、デスクの引き出しから1枚の紙を蘭の前に置いた。
「10万ドルの小切手だ。換金してご両親に渡してやりなさい」
「こんなに…う、受け取れません」
蘭は小切手を李の方へ返そうとするが、李は彼女の腕を掴むと優しい笑みを向けた。
「気にすることはない。君はこれまで、公私に渡ってワシに尽くしてくれた。
これは、そのお礼のようなモノだ。それに、我々中国人は故郷に帰る時、少しでも両親を楽にしたいと思うだろう」
李は掴んだ腕を離し、蘭の手を優しく撫でた。
「大班…ありがとうございます。お気遣いには感激いたします」
「では、よろしく頼むよ」
蘭は深々と感謝の礼を残して執務室を後にした。
──相手に偽物を渡した後、これを持って本国に逃げれば…。
屋敷の中、自室へ向かう廊下を歩きながら、蘭英美になりすましたCIA連絡員であり中国系アメリカ人──キャサリン・クーは、目的完了間近な状況を前に、内心興奮していた。
蘭は自室のクロークに預かったバックを置くと、パソコンに向かった。
──本日、目的である情報を入手。李は情報を中国に渡す予定。 当方は取引場所である香港でダミーを渡し、オリジナルを持ち帰る予定。以上確認されたし。
キャサリンが送信ボタンを押して数分後、ディスプレイに受信を知らせる画面が表れた。
──当方確認済み。成功を祈る。
キャサリンは慌ててパソコンを停止すると、部屋を出て行った。
その同時期、執務室のパソコン・ディスプレイには、彼女の部屋の様子がリアルタイムで映っていた。──五島が取り付けた盗撮カメラによって。
「バカなやつ…その10万ドルは、地獄への片道切符だ」
李は艷やかな顔を醜く歪めて笑っていた。