特別な色の華-1
酒井俊樹はいつものように夢と現をさまよいながら、少しだけ手を伸ばす。
何か…何かが…
うるさい、という言葉が浮かんだ瞬間に、少しだけ目を開いた。
頭の上の方から、ヒステリックにがなりたてるアラームの音が聞こえた。
朝の眩しい光が部屋にいっぱいに入り込んできて、目を閉じても俊樹の前に赤い色が見える。
今の今まで何の音もせず真っ暗だったのに、目を覚ました途端に全ての感覚が覚醒する。
不思議だ、と彼は小さく呟いて体を伸ばす。
眠る瞬間と起きる直前をはっきり確かめたい、と昔の俊樹はよく思ったものだが---その"望み"は薄い紙を透かす様に光に消えつつある。
裸足のままぺたぺたと洗面所に行って鏡の前に立つ、…目をてのひらで覆って。
俊樹には怖いものや恐れているものがない。
しかし、朝こうして鏡の前に立つ瞬間だけは、恐ろしく感じることがあった。
そこに知らない誰かの顔が映ってしまわないように、彼はちゃんと自分を作る。
自分を見るときの"俺"の顔を作ると、彼は手を外した。
目の前には、少し寝ぼけた眼でこちらをぼんやり見つめる男がいた。
俊樹は小さく頷く。
儀式の様なこの朝を過ごすことは、いつの頃からか当たり前の様に彼の生活に組み込まれた、昔からの習慣だった。
そして最近もう一つ、その朝に加わったものがある。
それは、同級生の宮内華子についての事を、少しだけ思い出すことだ。
思い出すといっても、そこには甘酸っぱい感情などひとかけらもない。
毎日観察している生物についての日記を書く、そのようなことだった。
俊樹は華子の姿を思い浮かべる。
小柄で華奢な体に穏やかな目、その口からは人を慈しみ慰めるような言葉が出てくることを想像させる。
しかし、それは彼女が声を発するまでのこと。
その優しそうな唇からは常に厳しい批判や文句が溢れ、柔らかな白い手は人を包み込むのではなく、反発に拳を握り締める。
俊樹は華子を非常に興味深く思い、観察する。
信念を曲げずいつも一人で強く主張する彼女は敵も多い。
彼女は今日も見えない何かと戦うのだろうか…
俊樹は残り少ない歯磨き粉をチューブから絞り出し、歯ブラシに塗り付ける。
口の中を泡だらけにしながら、この前起きた出来事を思い返す…。