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3人家族
【フェチ/マニア 官能小説】

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3人家族-1

 私がはっきりと覚えている母から受けた初めてのお仕置き、それは小学校3年生の時だった。私は母と些細なことで口げんかになった。
「出て行きなさい!」
 私は母に言われた通り家を飛び出した。その頃から、私は強情でちょっとつっぱったところのある女の子だった。私は家の向かいにある神社の物陰に隠れていた。しばらくすると、母が私を呼ぶ声がする。私は母の声を無視してなおも隠れていた。母が私のことを心配し始めていることはわかっていた。やがて隣家のおばさんがうちにやってきて、玄関先で母と何か話し始めた。どこかソワソワしている。もう出ていかないとさすがにまずい。おばさんが帰る時を見計らって私は家に戻ることにした。
「ママ」
 私は家の中に戻ろうとする母を呼び止めた。母は私の方に振り向くと、駆け寄ってきて私を抱き上げ、ギューッと私を抱きしめた。母はしばらくその手を緩めようとしなかった。
 でも母は甘い人ではなかった。犯した罪は罰で償わせる、それがその時からの母の私に対する躾だった。次の日、学校から帰ると私はダイニングの椅子の背に俯せに乗せられた。お尻の位置がちょうど椅子の背の上にくるように私は必死に爪先立ちし、両手で座面の左右の手前の方を握った。母は私のプリーツスカートをめくると、籐の布団叩きで私のお尻を打ち始めた。パシッ! あまりの痛さに息が詰まった。パシッ! 「ママー、ごめんなさい!」。少しでも母の心証をよくしようと私は必死だった。パシッ! 母は3発目を叩き終えるとその手を止め、布団叩きを手放した。そして私の両肩に手を置いて、私の眼をじっと見つめて言った。「ママを心配させないのよ」。私は急に涙がこみ上げてきて、母の胸に顔を埋めて泣いた。

 小学校の頃、私は母によくお尻を叩かれていた。叩かれるのはいつもお尻。一緒に買い物に行った近所のスーパーでぐずって、路上でお尻を平手打ちされたこともある。私は痛いというよりびっくりして泣き止んだ。娘の躾には人目もはばからないという母の強い意志に驚いたのだ。習い事に行くのを嫌がった時は母の膝の上に乗せられ、裁縫用の竹の物差しでお尻をピシャピシャと叩かれた。お尻をいっぱい叩かれた次の日は、学校で椅子に座るのが辛かった。
 もう小学校も卒業が近づいたある夜、お風呂に入ると、私のお尻の真ん中に紅葉のような母の手の跡がくっきりとついていた。さっき口答えして母に追いかけられて捕まり、ソファの肘のところでスカートをめくられて平手打ちを何発ももらったばかりだ。それを見たとき、私は妙な気持ちになった。いつまでも母にしっかりと支配されているような、守られているような、窮屈なような、安心なような。私は一人っ子。両親は私のことしか眼中にない、それは子供の私にもよくわかった。一方、小学校の頃の父は門限破り以外で私を怒ることはなかった。

 私の母は管理教育の世代である。母からときどき中学時代の話を聞くことがある。
「全校での持ち物検査が月に1回あってね。そこで爪の長さからスカートの丈から全部調べられるのよ。そして違反の数だけ、その場でケツバット」
「ケツバット? まさか金属バットとか?」
「じゃなくて、1メートル定規とか木の棒とかなんだけどみんなケツバットって言ってたのよ。その時にはみんなスカートの下にブルマーをはいてくの。そうすると少し痛み避けになるからね。授業で忘れ物すると、ビンタかケツバット、どっちか選ばされたり。あたしは顔はイヤだったから、いつもケツバットの方を選んでたわ。でもケツバットの方がほんとは痛いのよ」
 母はなんだか懐かしい思い出のように楽しそうに話している。
「ママはイヤじゃなかったの? みんなの前でケツバットなんて」
「昔は先生は絶対で、偉くて怖いもので、お尻ならちょっと痛いけどまあいいじゃんみたいな感じかな。恥ずかしかったのは男の子にからかわれたときね。ピチッて凄え音してたぞ、とか。それから大人になってからのクラス会で、ケツバット女って言われた時ね。確かに忘れ物の女王で週に1回はやられてたわね」
 母はケツバットした先生はイヤな先生ではなく、生徒に嫌われてはいなかったという。むしろいまではいちばんよく思い出す先生で、クラス会では多くの教え子が集まってくると言った。


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