「鬼と姫君」2章B-4
鬼灯丸は室の奥へと進み、床に獣の毛皮を敷いた柔らかな場所にやっと姫を下ろした。
「むさ苦しいところで申し訳ないが、寛がれよ」
「とても広いのですね。深山にこのような場所があるとは―…。灯りがたくさん点っているので、屋敷より明るいようです」
存外に姫の言葉は弾んでおり、鬼灯丸は安堵する。
本当に人の世と隔絶されたこの場所に、若い姫を連れてきて良かったのだろうか―…。
再び、鬼灯丸は考えずにはいられなかった。
姫はそのような、この岩屋の主の懸念など露知らず、興味深そうにきょろきょろと辺りを見回している。
その様子が、森に住まう小さな獣たちのようで鬼灯丸は先程の心配を忘れ、思わず微笑んだ。
「姫は強くなられた。幼きときよりもっと、強く正しくなられた。今の私などよりもずっと―」
鬼灯丸は姫の成長が嬉しかったが、同時に少し眩しく思った。
姫の魂があまりにも清らかだったからだ。
夜の彼方を思わせる漆黒の姫の瞳を見詰めると、吸い込まれそうになる。
姫は、こちらを見たまま動かなくなった鬼灯丸に少し首をかしげる。
さらりと床に広がっている艶やかな髪の毛が音を立てた。
そして、息もかかりそうなほど間近にいる鬼灯丸を感じ、ふと気付く。
相手は右馬佐ではなくなったものの、異性と部屋に二人きりという状況はかわらないのだ。
そう思うと先程のはしゃぎ様は何処へやら、俄かに気恥ずかしくなり姫はそっと目を伏せた。
こと恋愛に関した知識が欠けていること、そして心の準備が全く整っていなかったため、姫は大層狼狽えた。
虫にばかりかまけていたツケがまわってきたようだ。
急に会話の途切れた部屋には夜のしじまが広がり、風に揺れる木々の音がざわざわと大きく聞こえてくる。
「疲れただろう。そろそろ休まれぬか。奥に部屋があるので、そこに姫の寝床を設えよう」
鬼灯丸のその言葉に姫は内心ほっとする。
案内された場所は小ぢんまりとした広さだった。
灯りは一つしか点っておらず、幾分薄暗い。
何も敷いていなかった床に鬼灯丸が織物を用意してくれ、この時期でも明け方は冷えるからと上掛けの衣も渡される。
鬼灯丸は姫の頭を撫で、お休みと一言残してするりと出ていった。
唯一の灯りが消えた部屋はそれこそ真の闇に支配され、目が慣れぬうちは何も見えない。
そのかわり、外の音は存外に大きく、木々の息吹と獣の微かな気配を含んでいる。
月は傾き始めて随分になろう。
夜も更けているが、姫は眠りにつくことができなかった。
今日一日の興奮が冷めやらないことと、十数年ぶりにまみえた鬼灯丸のことが気になってしかたなかった。
この際、初恋の相手が鬼であったことは姫の内では最早拘りなく、ただ鬼灯丸に甘え、思わずついてきてしまったが、鬼灯丸は自分のことをどう思っているのだろうか―…。
勿論、姫は叶うことであれば、これから先ずっと鬼灯丸の側にいたいと思っていた。
しかし、それは鬼灯丸も同じとは限らない。
そう思うと姫の不安は募る。
森閑とした岩屋の中、誰の気配も感じず、心細さに姫は起き上がった。
脱いだ衣を再び纏って部屋を出る。