エンジェル・ダストF-10
「…内定の結果、あなたの逮捕は時間の問題だった。
その後に外務省の圧力は掛かるだろうが、──公安に捕まるドジなヤツ─というレッテルをあなたは背負う事となる」
「…その通り。私が逮捕されれば、中国はいかなる外交手段を用いても私を救うでしょう。
しかし、私はその時点でキャリアを終えてしまう。実際、あの時、私は覚悟していました。──あなたから逃れられないと。
しかし、あなたは実行しなかった。何故です?」
李は探るような目で訊いた。
恭一はひと言々を確かめるように語りつぐ。
「…確かにそうだった。が、あの時思ったのは──勿体無い─という考えでした」
「…勿体…無い…?」
答えを聞いた李は、呆れたような顔で言葉を繰り返した。
恭一は少し照れた仕草で話を続ける。
「現在、中国と日本の関係はあまりによろしくない。むしろ、悪化の一途をたどっています。
そんな状況下で、オフィシャルでない対中外交の窓口は多いほど良いと私は思った。
特に李さんのように、華僑全体に影響力のある人物を、公安のような、いち組織のメンツのために潰すのは惜しいと考えたのです」
その時、恭一は警察庁のデータベースに保管されていた李に関する情報を破壊した後、公安を辞めた。
時を同じくして李も中国での地位を築き上げ、今ではアンタッチャブルな存在になってしまった。
初めて真相を聞かされた李は、松嶋という男を益々気に入った。
「あなたのようなバカがお互いに増えれば、日中はすぐにでも最友好国になるでしょうね」
「同じ人種でいがみ合っているのは不幸な事です」
その時だ。部屋の電話がけたたましく鳴った。
「…ちょっと失礼」
李は神妙な顔つきで席を立つと、電話に近づいて受話器を取った。
彼のような武器商人なら、バイヤーは世界中の武装グループや軍隊だ。
中には──やんごとなきお方─のホットラインが入るのだろう。そんな場合、本人以外が出るのは失礼だ。
「松嶋さん。あなたにですよ」
あてが外れたようだ。恭一は慌てて立ち上がると受話器を受け取った。
相手は五島だった。
「どうしたんだ?」
「さっき、おまえの指示で間宮と宮内を呼んだんだが…」
「ああ、それが?」
「宮内がまだ現れねえんだ」
恭一は腕時計に目をやった。五島に指示したのは1時間半前。宮内の警察署から中華街まで遅くとも40分。確かに遅れている。
しかし、恭一はそんな雰囲気も出さずに、
「一旦、自宅にでも帰ってるんじゃないのか?」
「だと良いんだが…」
恭一は受話器を戻すと李の方を見た。
「申し訳ありませんが、受け入れでトラブルが生じたようです」
「仕方ありませんな」
2人は諦めたようにグラスを一気に傾けた。
「すべてが終わったら、今度こそゆっくりやりましょう」
恭一は李の、李は恭一の肩を抱いた。
「気をつけて下さい。あなたの敵は、あなたが考えているより強大ですから」
「心得ているつもりです」
10年付き合っても信用出来ない者もいる。
しかし、恭一と李は逆だった。わずかな期間しか付き合っていないが、互いを──友─と呼べる気持ちだった。