フライング-1
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フライング
加藤樹(かとういつき)は世界を呪った。
この世に生まれ出た事を呪った。
何の希望も夢も無く、ただ枯れて死を待つのみ。
古い唄にあるソロモングランディのように、当たり前の人生を当たり前に生きて死ぬ。
それなら、唯一自由になる自分の死を以てこの世界に逆らいたい。
樹はそんなことを考えながら、学校の屋上から身を踊らせた。
飛び降りる瞬間に垣間見た青く輝く空。
?嗚呼、せめて今日という日が美しくて良かった?
樹は幼い頃から本が好きで、あまり他人と交わる性格ではなかった。
頭が良くて早熟だった為に、同年代の子供を心の隅で莫迦にしていた。
それが故に樹はますます孤立を深めていった。
その結果、中学に入っても友人が出来ず、二年生になる頃には執拗な苛めを受け始めた。
唯一の理解者は美空緋鞠(みそらひまり)であった。
緋鞠は誰とも気兼ね無く付き合える優しい子であった。
緋鞠にとって樹は特別な存在ではなかったが、樹にとっての緋鞠は特別な存在だった。
しかし、級友達に樹との関係を揶揄された時から、緋鞠は樹と距離を置くようになったのだ。
樹は自らを孤高であれと願ったが、傷ついた心はいつまでもジクジクと膿みを吐き続けた。
やがて樹は学校を休みがちになり、遂には引きこもるようになってしまった。
そして、人生に意味を見いだせなくなったとき、それに終止符を打つことにしたのだ。
宙に飛び出した瞬間には高揚感が恐怖を凌駕していた。
時間が引き延ばされ、地面までの距離がやけに遠く感じる。
そして突然消し飛ぶ意識。
地面に激突して体が砕け、絶命する……筈だった。
しかし、樹は再び意識を取り戻す。
雲の上、自分を見下ろす奇妙な男。
「ようこそ、永遠の子供の国へ」
男は慇懃に頭を下げた。
シルクハットに口髭、モーニングにステッキ、そして右手の義手。
奇妙な男は左手で器用にステッキを回す。
「此処は天国か?」
虚ろな目で辺りを見回すと、樹は自分が宙に浮いていることに気付く。
「天国かって?」
男は答えた。
「言ったろ、此処は子供の国だって。君みたいに大人になりたくない、なれない子供が来る場所だ」
言われて起き上がり、辺りを見回してみると、そこはビル街の上空で周囲には樹と同年代の子供が浮かんでいる。
どの子供も何もする気が無いのか、うずくまったり寝転んだり、各々好きな格好で浮いている。
「子供の国って、あんたは大人じゃないか?」
樹はシルクハットの男に尋ねた。
「初対面の大人に向かってあんた呼ばわりとは失敬なお子だ。だが、まあ、いいだろう。私の名前は鈎波6郎(かぎなみろくろう)。時間の流れから外れたいが為に、神に代償を払ってこの世界にやって来た」
鈎波の代償という言葉に、樹の視線が我知らず義手に注がれる。
「御明察」
樹の視線を察した鈎波が義手をかざす。
「私の代償はこの手と懐中時計。それを神に捧げることによって、私は時間を超えた存在になったのだよ」
そう言って遥か遠方を指差す鈎波。
見ると、ビルの谷間の向こうに巨大な鰐を模した時計塔が建っていた。
何故今まで気が付かなかったのか、リアルな鰐が摩天楼を見下ろす様はなかなかにシュールでまるでマグリットの絵のようだ。
「ともあれ、この世界に来た以上、時間は無制限にある。どこまでも続く子供の時間を謳歌したまえ」
そう言って立ち去る鈎波6郎。