魔性の仔A-9
「誰かあるッ!馬遥遷様ァ!」
母屋の戸を開き、男は声を張り上げた。それに気づいたのか、奥から近づく音が聞こえた。
「誰じゃ?ワシを訪ねて来たのは」
「長、私でございますッ」
男は、馬遥遷と呼んだ男の前で破顔すると土間に跪いた。
「おおッ!鵺遵。よう戻って来た。ささ、奥へ入りなさい」
馬遥遷はシワだらけの顔をさらにクシャクシャにして、鵺遵と呼んだ男を屋敷に招き入れる。
鵺遵は、促されるままに母屋の座敷に通された。
「どうじゃった?この1年の修行は」
「はい。私にとっては、大変意義の有る1年でした。
ここしか知らない私が、外を見ることで視野が広がりました」
謙虚さの中に自信がみなぎる言葉。聞いた馬遥遷は頬を緩めて目を細めた。
「…良い旅をいたしたな…」
「ところで長、若い衆の姿が見えないようですが?」
鵺遵は、道すがら周りを見て異変に気づいていた。
が、馬遥遷はそんな気遣いを笑って一蹴した。
「彼らは──あの娘─を探しに出とるのじゃ」
そう答え、その経緯を鵺遵に聞かせた。彼は馬遥遷の言葉にいちいち頷いていたが、
「…それで、あのクルマから匂いがしたわけか…」
独り言のような言葉。だが、馬遥遷は聞き逃さなかった。
「…それは何の話じゃッ」
血相を変え、問い質した馬遥遷の変わり様に鵺遵は戸惑いながらも、先ほど刈谷のクルマに乗せてもらった出来事を伝えた。
それを聞いた馬遥遷の表情は、みるみる精気をみなぎらせた。
「…ヨシッ、直ちに山の向こうに若い衆を集めて娘を奪いに行くのじゃッ」
嬉々とした表情で叫ぶ馬遥遷に、──お待ち下されッ─と、鵺遵は異を唱える。
「やみくもに家を襲い、娘を奪うのは得策とは思えませぬッ」
「どうしてじゃッ、鵺遵よ」
馬遥遷のこめかみには、怒りの筋が浮き上がる。
「あれほどに目立つ娘。山の中とはいえ、すでに周りに知れ渡っていると考えるべきです。
それに、娘を匿っている者が警察にでも届け出ておれば、そやつを殺して娘を取り返せば必ず、この村に捜査の手が入ります。それは避けるべきです」
「では、どういたすッ?」
「まずは居るべき場所を突きとめておき、匿っている者がこの村を訪れるようにすべきかと…」
「そのような事が出来るのか?」
馬遥遷は、すでに落ち着きを取り戻して鵺遵の話に聞き入っている。
「私がそのように仕掛けましょう。現に、先ほどの男はずいぶん興味をもっておりましたから」
堂々たる言葉運びに馬遥遷は感嘆した。──さすがに将来、長と成りえる男だと。