魔性の仔A-2
午後3時。夕食の買い出しや洗濯物の整理など、日常的な作業にいそしむ刈谷の携帯が、会社からであることを告げた。
「はい、刈谷です」
電話の相手は藤沢早紀だ。その声色は何やら慌てている。
「刈谷さん、そっちはどうなんです?」
「そっちって?」
とぼけた返答に早紀の語気が思わず強まった。
「決まってるでしょッ!先生の進捗具合ですよ」
「ああ。それなら今日、プロットを読んだ」
「で?どうなんです」
もどかしげに次の言葉を待つ早紀。それは、まるで手品のタネ明かしを待つ子供のように。
「多分、イケると思う。担当になる前に彼女の作品をひと通り読んだが、それと比較しても随一じゃないかな」
刈谷の声にも熱がこもる。それを聞いた早紀も、嬉しそうに頬をほころばせた。
そこまで聞いた早紀は、電話をした本題を思い出した。
「ところで刈谷さん。今からこっちに来てもらえますか?」
「何か有るのか?」
「いつものですよ…」
いつもの──毎月の出版会議。
予定の出版物に対し、各担当と編集が意見をぶつけ合う場。
「編集長が刈谷さんも呼ぶようにと云ってます」
中尊寺のプロットが出来上がった今、彼にとっては正に──渡りに船─だ。
「分かった。今から向かうよ」
電話を切った刈谷は、慌ただしく用意をしながら少女を探した。
「おおいッ!──何処に行ったんだ?」
客間、エントランス、リビングと探すが姿が見えない。と、その時、楽しげな笑い声が彼の耳に聞こえてきた。
声に誘われて近づいた場所はキッチンで、中尊寺と少女が笑みを交わしながら何やら作っている。
──へえ、あんなに打ち解けて…。
2人の温かな状況に、いつしか刈谷も微笑む。
「すいません。この子まですっかりお世話になって…」
刈谷は調理台に近づくと、中尊寺に感謝の思いを口にした。すると彼女は柔らかな笑顔で首を横に振る。
「とんでもない。この子のおかげで、良い気分転換になってるわ」
実に嬉しそうに笑った。
「今晩の夕食は、自家製の生パスタをと思ってね。この子と準備してたところよ」
「その件ですが、実は相談したい事がありまして…」
刈谷はそう前置きして、これから出版社で会議があり夕食を共に出来ない事、少女をここに残して行きたい旨を伝えた。
「…大変勝手なんですが、先生の次回作も編集と打ち合わせる必要がありますので…」
──作家に頼む事柄ではない。刈谷は恐縮しながら頭を下げた。
「そんなこと、お易いご用よ」
中尊寺は二つ返事で引き受けてくれた。刈谷は安心して会社へと向かった。──むろん、彼女のプロットを携えて。