My heart is in your hand.-1
「中平(なかひら)先輩、遠慮せずに飲んで下さいね」
「ああ」
ここは、神崎悟(かんざきさとる)の家のダイニングキッチンだ。
悟に『中平先輩』と呼ばれたのは、悟と同じ会社に勤める中平由宇(なかひらゆう)。
由宇は、今年21歳になる悟の5歳年上だ。
「明日土曜なんですから。良ければ泊まってって下さい」
「俺はかまわないんだけど…いいのか?」
由宇は目の前にある、缶チューハイのプルトップを開けながら言った。
シュワシュワと音を立てているそれに、口を付ける。
「いいですよ。母さんも先輩帰ってくたびに、泊まってけばいいのにって言うんで」
悟がそう言い終わると…
ガチャ、と玄関のドアノブが回る音がした。
この家はドアを開けると、すぐそこはダイニングキッチンという作りになっている。
「ただいま」
玄関には、黒いスーツ姿の女性が立っている。顔を上げて、由宇のことを確認すると途端に恥ずかしそうな顔をした。
由宇も少し照れながら「お邪魔してます」と小さな声で言う。
「悟、中平君来るなら言ってくれればよかったのに…こんな時間まで、仕事せずに帰ってきたわよ」
パンプスを脱ぎ、悟の母親の文恵(ふみえ)は頬を膨らませながら言った。
時刻は21時を過ぎている。文恵は頭が良く、職場でも上の立場にいると由宇は悟から聞いていた。
いかにも仕事ができそうなスーツの着こなしは、いやらしさを感じさせない。
ダークブラウンに染められた髪はショートカットで、ゆるくパーマがかかっている。
「母さん、今仕事忙しいって言ってただろ?」
酔って上機嫌な悟は、ニコニコしながら文恵に言った。
文恵はため息をつきつつも、テーブルの上に置いてあるパスタの乗った皿を見る。
「作っといたから。食べて?」
「…ありがと」
照れくさそうに文恵が笑う。
悟はその理由こそ言わなかったが、悟が生まれたときから文恵はシングルマザーなのだと由宇は聞いていた。
だから今まで悟は文恵に気を遣って、あまり家に友人を招くことがなかったらしい。
「じゃあ、遠慮なくいただくわね」
文恵は手を洗うと席につき、手を合わせて、悟の優しさに対して照れくさいのか恥ずかしそうに食べ出す。
由宇はそんな家族の光景を見て微笑むのだった。