「鬼と姫君」 1章-3
ある初冬の日、そのときも姫は鬼灯丸を待っていた。
寒さはまだそれほどではないが、吐く息は白い。
辺りの景色も段々と色を無くし寒々としたものに変化している。
その日、鬼灯丸が現れるのは殊に遅かった。
冷たくなる小さな手を擦り合わせ、短くなった日が山入端に落ちかる様子を
眺めながら待っていると、ようやっと姿を見せた。
寒さのせいか、顔色が優れず、透けるように白い面をして手には
何処から見付けてきたのか、瑞々しく咲いた花の束を持っている。
それは、冬枯れの景色の中で鮮やかに際立っていた。
鬼灯丸は花束を姫に渡すと、その中で最も大きく美しく咲いていた
紅い花を姫の髪にそっと飾った。
手を引いて歩こうと姫の手を掴むとびっくりするような冷たさだった。
擦って温めながら、二人で何処へ行くともなしに歩いた。
やがて日が隠れる頃になり段々辺りに闇が漂い出した。
いつもなら、鬼灯丸は屋敷の人が心配するからと言って、
姫に帰るよう促すのだが、未だ姫と手を繋いだまま何も言わない。
姫はそんな鬼灯丸の、いつもと異なる様子をやっといぶかしく思った。
そう言えば、何時もより口数も少なく、表情も冴えない。
「どうかされたのか。今日はお元気がないようじゃ」
そっと尋ねると鬼灯丸は一つため息をついて、姫と向かい合った。
「もうここには来れぬ」
ああ、月に帰られるのだと姫は思った。
「遠くに行かれるのか」
姫の問いに鬼灯丸が微かに頷く。
「もう会えぬのか」
重ねて尋ねられ、苦しそうに再び首を縦に振った。
姫の目にはみるみる光の粒がたまっていく。
もう、この美しく優しい人には会えないのだ―。
姫の胸は今までにないほど痛んだ。
初めて出会った日のように嫌々と瞳の雫を溢しながら首を振る。
そのいじらしい姿に鬼灯丸は心を揺さぶられた。
普段は大人しく聞き分けよい姫であるから、なおのこと。
鬼灯丸は別れを告げたのは自身にも関わらず、
姫を直視出来ないまま言葉を絞り出した。
「会えなくはなるが、姫のことは忘れぬ。必ず我の心に留めて、
ずっと見守っておるからな」
姫はとうとうしゃくりあげ、震えた唇でやっと、
「約束…してくれような…」
とだけ言った。
「きっと約束しよう」
鬼灯丸は姫を胸に包み込んだ。
初冬の空気は冷たく、温かな姫は離し難かった。
二人は太陽が山の端に完全に没するまで寄り添っていた。
遠くにみえる冬枯れした寒々しい山のあたりを雁が数匹淋しそうに飛んでいた。
翌日から鬼灯丸は本当に姿をみせなくなかった。
それでも、姫はもしかしたら…という淡い期待を抱いて毎日、屋敷の外へ出た。
そうして、20日余りが過ぎた頃、ある黄昏時に一人佇んでいた姫は唐突に悟った。
鬼灯丸はもう現れない―。
現実は突然受け入れてしまった姫は号泣し、屋敷へ戻った。
泣きながら帰ってきた姫をみて家人はどうしたことかと慌てふためき、いぶかしんだが、誰一人としてその理由を知ることは叶わなかった。
ただ、それから姫はあれほど楽しみしていた散歩を日課から外し、
塞ぎ込んだまま屋敷の中で冬を過ごした。