『六月の或る日に。1』-3
『ねえ、別の静かな場所で話せないの?』
そういうと、困ったような目が返ってきた。嫌ってことなんだろう。僅かに感じた胸の小さな痛みに、気付かないフリをした。
『じゃあもう少し大きな声で話して?周りがうるさくて聞き取れないの。』
『…わかった。』
優しく言ってみたけど、あたしの表情は酷かったと思う。とても作り笑いができるような気分じゃなかった。
夏樹は頷くと、静かにあたしと別れたい理由を喋り始めた。
『俺…、好きな子出来てさ。』
一言目はそんな言葉。
好きな子ってなに?あたしがいるのに?
直ぐにでも非難したい感情を、必死に抑えつけて頷いた。
『で…、3ヶ月くらい前から、その子と付き合ってる。』
付き合って……る?
その言葉に、違和感を覚えた。
だって、付き合ってるのはあたしでしょ?あたしがいて、その子とも付き合ったわけ?じゃあなんで、その時別れようって言わなかったの?
『いや…、俺、彼女を好きになったって言っても、別に付き合いたいとか思ってたわけじゃないんだ。ただ、見てるだけで良かったっつうか…。第一、俺には、お前いるし。』
夏樹はあたしが聞きたいことを読み取ったのか、慌ててそう言った。長く付き合ってると、こういう所ばかり長けて困る。
『でも…。たまたま、会社の飲み会の帰りに、二人で帰ることになって…。お互い、少し酔っ払ってたのか…、なんか変な気分になっちまって………。』
夏樹の苦い表情に、途端に背筋が寒くなっていった。
まさか……、まさか。
『………したの?』
俯き加減だった夏樹が、顔を上げた。何とも言えないその表情で、答えがわかった。
手を、振り上げそうになった。
もう、理性とか、そんなのいらない、って思った。
ただ泣いて喚いて、目の前にいる男の頬をひっぱたいてやりたかった。
けど、出来なかった。
唇を噛んで、手を強く握り締めて、心に更に鍵をかけて、勝手に出て来ようとする涙を必死で押し込めた。