主役不在-10
(誤ロンッ! 誤ロンざんす……ッ! つまり、勝ったざんす……ッ!)
赤木は、なぜか左端の牌だけをめくったまま、手牌の他のところを開こうとしない。ただ右手で、卓の上に置いたタバコの箱を持ち上げながら村岡を見ていた。
「……どうしたざんすかッ? ロンなんざんしょ? 早く手牌を開くざんすッ!」
勝利を確信した村岡は、急かすようにそう促す。そこにあるのは、三つの暗刻と一つの順子……。
しかし、薄く笑みを浮かべた赤木は、残りの十二牌をめくりながら呟くように言った。
「スーアンコウ……」
「え?」
赤木のめくった手牌を見て、最初に驚愕したのは、前田だった。しかしその差も数秒のこと、続けて倒されたその牌の並びに、赤木を除く全員が目を見開いた。
北二二二222666???
「おれの暗刻はここにある」
前田が確認したときは確かに順子だったはずの八筒暗刻を倒しながら、赤木が言った。
「……四暗刻、北待ち。役満だ」
12.【決着】
赤木が手牌を組み終わってからすり替えた牌は、確実に左端の一牌だけだったはず。それ以外は手で隠したりはしていなかったから、前田が気づかないはずはないからだ。
そう推察した村岡の考えは、間違ってはいなかった。赤木が手牌を作った後にすり替えたのは八萬だけ。それ以外には手をつけていない。
そう、赤木の手は、最初から四暗刻だったのだ。
だが、赤木はここに一つ細工を残した。
牌の向かって右端の辺り、ちょうど前田の視界を遮る位置に、タバコの箱を置いたのである。
もう中身の少ないその箱は、半分潰れかけていて、牌全体を隠すほどの厚みはなかった。箱が隠していたのは、牌の下半分だけ。
それが赤木の策だった。
赤木はまず、手牌を作る段階で、最初に六筒、七筒、八筒の順子をそこに置いた。ただし、六筒と七筒を上下逆さまにして。
そして、上半分が隠れた状態の六筒と七筒を、左手で別の牌をいじり、注意を反らしている間に、八筒の対子と入れ替えたのである。
そして敢えて、入れ替えた牌は隠さずに、前田に見えたままにしておいた。しかし前田は、それを順子だと思いこんでいたために、下半分が隠れた八筒の対子を、六筒と七筒と見間違えたのだ。
偽装の暗刻。思考が泥沼にはまり、最後に頼る安全牌を狙った北待ち。
神域の男、赤木しげるの真骨頂。逃れられない北待ち。
(ば、馬鹿な……ッ!)
目の前が真っ暗になる、という感覚を、村岡は体験していた。
視界が歪み、重力を一瞬失ったような大きな立ち眩みを覚えて、椅子ごとその場に倒れ込む。
役満、つまり一億六千万の四倍、六億四千万円。
自力で立ち上がることすらできずに、村岡は床に座り込んだまま呆けていた。股間が冷たくなっていることにすら気づいていない様子で、茫然自失としている。
あまりのことに現実感が追いついていないのか、まるで屍のようになっていた。
「社長!」
前田や三好らが、倒れ込んだ村岡に駆け寄る。そんななか、赤木は一人悠々とタバコを吹かしていた。
我関せずといった調子で、相変わらずの笑みを口元に浮かべながら。
そして、それは果たして村岡に言ったのか、それとも独り言か、判然としない口調で、静かに呟いた。
「死ねば助かるのに……」