〜prologue〜-4
──これなら長野でやったわ。
雛子は、ポンプ頭頂の開口部にバケツの水を流し込む。──呼び水だ。
ポンプ吐出口にホースの様に厚い布が繋がっている。雛子はホースの出口にバケツを置いた。
「せーのッ!」
雛子はポンプから伸びる長い取っ手──レバー─を漕ぎだす。最初は抵抗の無さから、わずかな力でレバーは前後する。が、突然、ガクンとレバーの抵抗が増した。──水を汲み上げる抵抗感。
「…ふんッ!…んッ!…」
雛子は重くなったレバーを上下させる。時を同じくして、ペチャンコだったホースが勢い良く膨らみ、バケツに水が流れ込む。
「…あれから10年は経つけど…腕は落ちてないわね…」
バケツが水でいっぱいになった。雛子はバケツを抱えて風呂場の湯船に水を入れた。
「…ハァッ…これじゃ…凄い時間が掛かるわ…」
額に滲んだ汗を拭い、わずかにたまった湯船の水を恨めしげに見つめた。
雛子が湯船の水と台所の溜め水を汲み終えた時、辺りの影は色を増して空は茜色に染まっていた。
「…そうだ…お風呂を沸かさなきゃ…」
雛子は勝手口から外に出ると、風呂のかまどに向かった。
──長野じゃ、やってたから…。
釜戸の焚口に小枝やワラを入れて徳用マッチで火を点ける。──種火だ。
次々と小枝をくべて、釜戸の温度を上げていく。雛子は竹筒で釜戸に息を吹き掛ける。
ようやく火が定着しだした。雛子は2センチ角、長さ10センチほどの木切れを釜戸の下に積み、その上に石炭のクズを重ね置いた。
「…ふう…これで、しばらく良いわね」
ここから、火加減に注意しながら石炭を焚くと約2時間足らずで風呂は沸く。
雛子は慌てたように台所に戻り、持って来た米袋から1合の米を測り取ると、汲み置きした水で研ぎ始めた。
ご飯に菜っぱの味噌汁。それに玉子焼きと漬物。彼女が考えた夕食の献立。
包丁やまな板を慌ただしく取り出すと、台所で野菜を切りだした。
米を研いで土鍋に移したり、玉子を焼いたり、鍋でダシをとったりの作業の合間、勝手戸の外へと走り火加減に気を配る。
ようやく、夕食の準備が出来た時、時刻は夜の9時を過ぎていた。
「…とりあえず、ひとつ終わったわ」
雛子は茶の間に置かれた円形のちゃぶ台に、ご飯や味噌汁など夕食の皿を並べた。
「いただきます…」
そう云うと、両手を合わせて頭を下げた。両親曰く、ご先祖に感謝の念を捧げるために。
「よしッ!」
左手に茶碗、右手に箸を握った雛子は貪るように食事を摂りだした。
昼ご飯にうどんを食べたきりだったし、何より労働の後でお腹が空き過ぎていた。
ちゃぶ台に並んだ料理は、みるみる雛子の口へと運ばれ胃の中に収まった。