エンジェル・ダストE-1
千代田区霞ヶ関。ほとんどの中央省庁が入る官庁街。そこから少し離れた場所。夕暮れが迫る時刻に恭一の姿があった。
やがて辺りを闇が包んでいく。墓碑のようなビルが、美しさを競い合うように様々な光を放つ頃、閑散としていた場所に突如、人の波が押し寄せる。
そんな中でひとり佇む恭一。まるで傍観者の如く。
──…!
ちょうど人の流れが途切れた時、恭一のそばに黒塗りのレクサスが停まった。磨かれたボディは周りの光を纏い、艶やかに輝いていた。
恭一はそれを見て、かすかに笑みを浮かべた後、レクサスに近寄ってドアを開けるとバックシートに滑り込んだ。
「…待たせたね。松嶋君」
バックシートに腰掛ける男が恭一に声を掛けた。
板についたスーツ姿。白髪混じりの髪をオールバックにとかし、メタルフレームの眼鏡から覗く瞳は冷たい印象を抱かせる。──すべてがエリート然とした雰囲気の男。
「真田さん、ご無沙汰してます」
恭一はわずかに頭を下げた。
真田清十郎。45歳。外務省職員。通常、議員が就く副大臣の座を務める。──事実上、外務省のトップ。
「…あの頃は、事務次官でしたね」
「お互い、若かったな…」
「たかが4年前じゃないですか」
「たかが4年か…私には10年にも感じられる長さだったよ」
真田は眉尻を下げ、苦い笑い顔を恭一に向けた。
「…ところで、今日は忙しくないのだろう?久しぶりの再会だ、席を設けてるのだがね」
「良いですね。──重要な話は食を交わしながら─と、昔から言いますからね」
恭一は意味深な言葉を放つ。真田はただ、笑みを浮かべた。
「君、──笹川─に向かってくれ」
真田が行先を告げると運転手は小さく頷き、レクサスを発進させた。
30分後。2人は卓台を挟んで座敷に座っていた。
「きれいなものですねえ…」
2人は窓の外に目を移す。まるで滝から流れ落ちるように、しだれ梅が赤い花を咲かせていた。
「…ところで、私に頼みとは?」
筍やふきのとう、鰆、たらの芽など、季節を先取りした贅沢な料理を食しながら、真田は恭一に訊いた。
「実は、真田さんに昔の借りを返してもらいたいと思って…」
答える恭一は箸を置き、真田に屈託の無い笑みを向けた。
「借り…?そんな覚えは無いがな」
「そんなハズは無いでしょう。外務省のおかげで、当時の公安外事部がどれだけ煮湯を飲まされたか」
「…ああ…その事か──」
恭一がまだ公安に在籍していた頃、国内で活動する外国人スパイを捕える事が度々あった。
公安としては彼らを公に発表した後に強制送還する予定でいた。──スパイを送り込んだ国への威嚇のために。