ゴールデンウィーク-1
桜の花も散り若葉が生い茂る頃、緑を透過する日差しは強さを増し、反面、地面に映る影もより色を濃くする。
ゴールデンウイークも間近いある日のことだった。
篠原聡美がマンションの集積所にゴミを捨てに来た時、そのコンテナの陰で遊ぶ一人の少女を見つけた。
逆光の中、聡美に気が付いた少女は酷く怯えた目を向けた。
聡美は腰を下ろすと少女の目線まで姿勢を低くし、笑顔を作ってみせる。
「こんにちは」
しかし、少女は返事もせずに逃げ出し、聡美はその後ろ姿を寂しそうに見送った。
少女は聡美と同じマンションに住む幼稚園児でまーちゃんと呼ばれていた。
本名は分からない。
ただ、自転車置き場や階段の隅で遊ぶ姿はよく見かけており、子供を亡くした聡美はまーちゃんのことが気になっていた。
しかし、まーちゃんの両親は態度や風体が悪く、聡美は気にかけながらも少女と接することはためらわれていた。
まーちゃんが虐待されているという話も耳にしており、素行の悪い少女の両親に目を付けられたくないというのも理由の一つである。
それを勇気が無いと思ったところで、一人暮らしの女性には無理からぬことだった。
聡美は自室に戻ると、リビングで横になってぼんやりと窓の外を見つめた。
脳裏をよぎるのは交通事故で亡くした娘のこと。
娘を亡くしたことで夫婦仲が急に冷え込み、それが原因で聡美は夫と別れたのだ。
随分と泣き暮らしたがそれも昔の話である。
今でも悲しいのは当然だが、それよりも娘が自分の元に生まれてきて幸せだったのか、本当に自分の精一杯の愛情を注いでいたのだろうかと、そんなことばかり考えてしまう。
ふと、一陣の風がカーテンを柔らかく持ち上げ、青空が垣間見えた。
世間はもうすぐゴールデンウイーク。
しかし、会社から長い休日をもらっても持て余すだけだ。
聡美は溜め息を吐くと、気晴らしに買い物に出掛けることにした。
日傘を手にしマンションの玄関を出ると、そこに黒いワゴン車が停まっていた。
そこには荷物を積み込む若い夫婦の姿があった。
丸刈りにサングラスのいかつい男と派手な化粧の吊り目の女。
見覚えのある二人はまーちゃんの両親だった。
連休を前に遊びにでも出掛けるのか、思わず立ち止まると男がサングラス越しに睨み付け、聡美は慌ててその場を離れた。
好きになれない両親だったが、独り遊びばかりしていたまーちゃんも、家族旅行に連れて行ってもらえるなら喜んでいるだろう。
聡美は我が事のように喜んだ。
しかし、夕暮れの中、買い物を済ませてマンションに戻った聡美は信じられないものを目にする。
家族旅行に行った筈のまーちゃんがゴミコンテナの陰で遊んでいたのだ。
とは言え、家族旅行に行ったというのは聡美の早合点かも知れない。
聡美は腰を下ろし、まーちゃんに尋ねた。
「お母さん達とお出掛けしなかったの?」
無言で首を振るまーちゃん。
「お母さん達はいつ帰るの?」
しかし、まーちゃんは答えなかった。
「そうだ、お腹空いてない?メロンパンがあるんだけど」
聡美は買い物袋からパンを取り出した。
差し出されたパンをおずおずと受け取るまーちゃん。
すると、今まで余程我慢していたのだろう。
まーちゃんはパンの袋を強く握り締めると、聡美の膝に顔を押し付けた。
泣いていることを悟られまいと声を殺して嗚咽を漏らすまーちゃん。
聡美は少女の頭を優しく撫でてやるが、そこに煙草を押し付けられた跡を見つけて手が止まる。
まーちゃんの小さな体を思わず抱き寄せる聡美。