だから、世界は美しい-8
「明日アパートに戻るのか?」
光の加減ではなく、本当に目元に隈を携えながら親父が問いかける。僕は荷物を纏めながら頷き答えた。
「明日の昼に出る予定。バイト無理して休み貰ったから、帰ったらすぐバイトに行くよ」
「そうか、今日はゆっくり休めよ」
それは親父の方がだよ、と口を開いて噤む。なんだかうまく喋る自信がなかった。
「形見……になるのか。悠人、何か持って行きたいものがあれば部屋から持っていっていいぞ」
親父の言葉にわかったと返事をして、僕はまたじいちゃんの部屋へとやってきた。
四方にある重なった沢山の絵を一枚一枚捲っていく。
欲を言えば、全部取っておきたいけれどきっとそれは無理だろう。
「あ……」と声が漏れる。
一番奥に隠れていた絵に見覚えがあった。
まだ足元が頼りない幼少の僕。今より若い親父とお袋、じいちゃん。そして僕が小さい頃に死んでしまった記憶すらあやふやな祖母。
祖母が死ぬ前の家族写真―――それを画用紙に模写したものだった。
祖母の顔が見たいと親父にせがんで何度も見せて貰った写真よりも、みんながより笑顔で生き生きとしていた。
それはきっと、じいちゃんの思い出が成せる技なんだろう。
画鋲で乱雑に止められたその絵は、少し引っ張ると、いとも簡単に壁から外れた。
「じいちゃん、これ貰うよ」
天井へと向けて呟く。
勿論返事はない。そんな当たり前のことを確認して、僕は画用紙に折り目がつかないように大切に端を持った。
刹那、達筆なじいちゃんの字が見えた。表ではなく裏側。
そろりと紙を裏返す。やはり、じいちゃんの字があった。
こいつらがいる。
だから、世界は美しい。
その言葉の意味を理解すると同時に、その文字が段々と滲んでいくのを感じて。そこで漸く僕は自分が泣いていることに気がついた。
一度頬に落ちた涙は堰を切ったように止まらなくなり、部屋に嗚咽が漏れる。皺になることも厭わずに、僕はずっとその絵を握りしめ涙を零した。
じいちゃんは世界には汚いものがあるって知っていた。
当たり前だ。汚いものがどんどん増えていく時代に生まれたんだから。
けれど僕達が、家族がいるからそれだけで世界は美しいものになったんだ。かけがえのない存在が、じぃちゃんの見る世界を美しいものに変えたんだ。
じいちゃん、僕は今、美大に通っているんだ。
まだまだじいちゃんの足下にも及ばなくて恥ずかしいから隠してた。妙な照れなんて無視して、じいちゃんに伝えれば良かった。きっとじいちゃんは何時もみたいに顔をくしゃくしゃにして喜んでくれる筈なのに。