だから、世界は美しい-5
ぼんやりと手を上げ、天井を仰ぐ。正確には天井に張り付けられたじいちゃんの絵を、だ。
天井の右端にはどこかの工場の絵。
煙突からもうもうと吐き出される煙。それは普段使わない絵の具をみんなぐちゃぐちゃに混ぜたら、こんな色になるのかなって程、体に悪そうな色をしてる。
その煙は水に絵の具を垂らしたみたいに、あっという間に空に流れて広がって、空が病気になりそうだ。
左端には廃棄物の山の絵。
隙間無く積まれた光景はまるでテトリスみたいだ。鮮やかな色をしてるのに、一つ一つは悲しそうに廃れてて、カラフルなのに見てて全然楽しくない。
じいちゃんは精巧な機械みたいに全てを正確に描写するから、余計にその光景の哀しさが浮き出て顔を顰めたくなる。
―――俺は美しいものしか描かない
いつもの口癖を引用するならば、じいちゃんにとってはこれすらも美しいのだろうか。
でもじいちゃん、これちっとも美しくないよ。
伸ばした手を降ろすと、ボスンと音を立てて布団がささやかな風を生み出した。
折り重なった紙がバサバサと音を立てながら捲れていく。不意に沢山の絵に隠れた、何の変哲もない夕日が目に入った。
それが気になったのは、きっと作文用紙の裏側に描かれていたからかもしれない。
これは、確か小学生の頃の宿題だった筈―――
近所や親戚の人で戦争を体験した人に戦時中の話しを聞いて、作文を書くこと。小学校の平和学習の時、そんな宿題を課せられたことがあった。
周りの友達が面倒臭いと嘆いているのを背に「僕はじいちゃんに聞くんだ」そう誇らしげに皆に告げて、帰宅後じいちゃんの部屋へと飛び込んだ。
じいちゃんに宿題の事を話すと、普段は聞くことのない、若くして戦地に赴いた頃の体験を語ってくれた。
「夜に戦地で寝てたらな、バーンと音がしたんだ。敵襲か何かあったのかと周りを見たら、横で寝ていた奴のヘルメットと脳天に風穴が開いてたよ」
その様子はさも特上の笑い話を語るようだった。
あれは驚いた、なんて茶化すけれど瞳は真剣な色をしていて、僕は何にも言えなくて。
結局、作文用紙にはありきたりな感想しか書けなかった。
その夜に一人布団の中で、じいちゃんの話しがぐるぐると頭を巡って。
それを想像したらとても恐ろしい気分に陥ってしまい、僕はとうとう溢れ出す涙を止めることが出来なくなった。
そのまま部屋を飛び出して、じいちゃんの布団に潜り込んだ。
じいちゃんは驚いていたけれど、しゃっくりをあげながら僕が涙の理由を話せば、作文用紙を一枚取り出して筆とパレットを取った。
「確かに恐ろしい体験だったけれど、良い事もあった」
じいちゃんは思い出に耽るようにゆっくりと目を閉じながら言葉を続ける。
「海を渡っても、戦時中でも、敵地でも。夕日は何一つ変わらず美しかった」
じいちゃんは絵本を読み聞かせるように、優しい声色で僕に語りながら夕日を描いた。
何十年も前の記憶を頼りに、戦地で眺めた夕日。
それは、ざわついた心に深く染みこむ優しい茜色をしていた。知らない土地の夕日なのに懐かしさを感じる。
眺めているだけで、母親の腕に抱かれた赤子のように穏やかな気持ちになり。いつの間にかその夕日に抱かれて僕は眠りについた。