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『氷輪の徒花』
【歴史物 官能小説】

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『氷輪の徒花』-2

「ひっ―」
 重い扉が開かれる。
 女達が短く悲鳴を上げる。
 私も思わず生唾を飲み込んでいた。
 なだれ込む様に進入してきたのは、物々しく武装した男たち。
 見慣れぬ鎧。
 曹操の兵士だった。
 「来ましたね。卑しき曹家の犬ども!」
 背筋を伸ばして出迎えたのは、劉夫人。
 冀州の花と呼ばれた、その美貌はこの状況にあってなお美しい。
 「我ら袁家の女は、曹操などに屈せぬ。慰みものになるくらいなら、自ら命を絶つ」
 負けた夫の妻に待っているのは恥辱の果ての死だ。
 それでも、この女性はその現実を受け入れずに死を選ぶという。
 「……」
 他の妻達も身を固くする。
 どうやら、私も死ななくてはならないらしい。
 「うるさい、ババアだ」
 その時、この場に似合わぬ若い声が聞こえた。
 兵士達が道を空ける。
 現れたのは少年だった。
 「今の自分がどれほど見苦しいか、わかっているのか」
 不遜な物言いをする少年は、驚くほど端正な顔立ちをしていた。
 その仕草は優雅で、名門袁家がかすむほど眩い。
 他の兵士達とは違う、凝った意匠の鎧を纏い、金色に輝く剣を刷いている。
 見上げるような長身に、女子と見間違えてしまいそうな白い肌。
 しかし、その表情は酷薄な笑みに歪み、妖しく冷たく光る目で私達を見下ろしている。
 「そなたは、曹操の子か」
 劉夫人の問いかけに、少年は嘲る様に笑った。
 「お前達に答える必要はない」
 そう言った少年は、腰の剣に手をかけた。
 「なっ―」
 一閃。
 次の瞬間、劉夫人の首から上がなくなっていた。
 「きゃあ!」
 隣に座っていた呂氏が悲鳴を上げる。
 呂氏の衣服が首をなくした劉夫人から噴出す血によって赤く染まっていく。
 その様に、肌が粟立つ。
 初めて見る、人間の死だった。
 「袁紹の縁者は皆殺しにせよ、とのことだ」
 返り血を浴びて、悪鬼のようになった少年が剣を翻す。
 「あ、がっ―!」
 剣は呂氏の心の臓を貫いていた。
 「ひっ―」
 喉から情けない声が漏れる。
 今のは自分の悲鳴か。
 身体が音を立てて震えた。
 なんという恐怖。
 「殺せ」
 少年の無慈悲な声が聞こえる。
 周りに控えていた兵士達が、次々と妻達を殺していった。
 地獄が始まった。
 私は、叫びだしそうになるのを必死に堪えた。
 震える身体を押さえつけ、目を硬く閉じて自分の番が来るのを待つ。
 聞いているだけで発狂してしまいそうな断末魔の叫び。
 今、死ぬことが避けられないのなら。
 せめて、潔く死にたい。
 震える私は、必死でそう願った。
 「……」
 不意に辺りが静かになった。
 目の前に人の気配を感じる。
 私はゆっくりと目を開ける。
 酷い光景が拡がっているであろう地面は見ないようにしながら。
 恐怖のあまりに流していたらしい涙で視界が歪んでいる。
 そんな視界の中央に、彼はいた。
 「お前が、甄姫だな」
 酷薄な笑みを浮かべるその姿は死者の国の使いのようで。
 「袁紹の次男、袁煕の妻」
 不意に聞こえる夫の名前。
 けれども、それを告げる声のなんと冷たいことか。
 「美しい。まさに絶世の美女よ」
 彼の手が喉下に伸びてくる。
 愛撫するように、首筋をなぞる指先。
 その感覚に、背筋が震えた。
 「お前だけは、殺さない」
 自分よりいくつも年下の少年。
 「その代わり、お前は今日から俺のものだ」
 その瞬間。
 私は彼の所有物となった。


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