魔性の仔〜Prologue〜-1
──あやつを逃してはならぬぞ!
草深い茂みに分け入る音。杣道を駆ける音。渓流から岩場へと飛び渡る音。
様々な動く音に荒い息遣いが、夜の山麗に響く。
──あれは我らの者!捜すのだッ!
幽玄さを醸す深い山中に幾条ものサーチライトが伸びた。大勢の者が決死の形相で、何かを捜し回る。
──あれを逃しては…人里に放ってはならぬ!
長らしき者は叫ぶ。
──あれを放てば、理が…いにしえより続いた理が消えてしまう!
『魔性の仔』
「…まったく。あの先生にも困ったもんだぜ…」
刈谷圭右はクルマで山道を走っていた。カーラジオから流れる車内で、先ほどまでのことを思い出してため息を吐く。
出版社に勤めて3年目。彼は念願である作家の担当業務に就いた。が、彼の任された作家は非常に気難しい人物だった。
今日も夜半に突然、呼び出されて散々、作品のアイデアを聞かされたが、結局、1ページも書けていない事に刈谷は閉口した。
──とにかく、〆切まで、あと1ヶ月だ。明日からは日参してわずかづつでも書かせにゃ…。
うねる道は、奥に進むほど壁の如く深い角度で曲がっている。刈谷は道に合わせるようにハンドルをきり足す。
「モヤ…?が出てきたな」
4月とは思えぬ昼間の陽気。それが夜になると、冷気が山を包み込む。空気中の水蒸気は一気に冷やされ、外気を白く濁らせた。
刈谷は、ライトのスイッチを切り替えた。それまで前方を照らした光源が路面をとらえる。
やや速度を落とし、映し出されるアスファルトの曲線をトレースする刈谷。見え難い状況が、軽い緊張を生んだ。
──なっ!
ライトに白い物体が横ぎった。刈谷は反射的にハンドルを大きくきると、目一杯ブレーキペダルを踏んだ。
カン高いタイアの軋む音。クルマは車線に対して真横を向いて止まった。
「…はッ!はああーーッ!」
心臓が激しい脈動を繰り返す。ヒザは震え、ハンドルを握る手はじっとりと汗ばんでいた。
刈谷はころげるようにクルマを飛び出し、クルマの周りを確認した。
斜め前に人が倒れている。刈谷は瞬間、凍りついた。
「…そ、そんな…」
刈谷は駆け寄り、耳元で声を掛けた。
「オイッ!大丈夫か!…」
震える身体を必死に制し、祈るように安否を確認する。