魔性の仔〜Prologue〜-3
「じゃあ、とりあえずクルマに乗って。明日から君の自宅を捜そう」
逆行性健忘は強いショックや衝撃から発症する場合が多い。その際の症状は様々で、赤ん坊のようにすべての記憶を無くして泣いたり笑ったりしか出来ない場合や、失語症のように一部だけを失う場合もある。
しかし、それらは24時間以内に戻るのがほとんどで、長くても数日もすれば記憶を取り戻す。
刈谷は、少女の記憶はすぐに戻ると考えていた。
「…う…う…」
少女は深く何度も頷く。刈谷は彼女を助手席に乗せると、自らも運転席に乗り込みクルマを発進させた。
その時、山中からサーチライトの光が山道を照らしたが、刈谷は知るよしもなかった。
「さあ、こっちだ」
刈谷のアパートに到着した2人。少女は招き入れられた。
「とりあえず風呂で身体を洗って、出来合いで悪いが食事にしよう」
刈谷は少女にリビングに居るよう言い含め、風呂の準備に掛かる。
ひとり残された少女。もの珍しげに辺りを見回す。
小さな机にノートパソコン。その傍に置かれた大きな本棚。ガラスの天板のテーブル。壁かけに吊された数着の服。
わずか10畳ほどの室内に散らばる様々な物に、彼女は初めて見たように目を輝かせる。
やがて刈谷が戻った。
「風呂の準備が出来た。オレは着替えをみつくろっとくから君は先に入ってくれ」
刈谷は少女を風呂場へと連れていった。
「服はここに置いてくれ。それから、石鹸とシャンプーはそこだ。それと、タオルはこれを使って……」
少女にひと通りの使い方を教えた刈谷は、慌ててリビングに戻ってクロークを開いた。
彼女の着替えを捜すためだ。
「確か…アイツが忘れていったパジャマがあったのな…」
──昔、同棲していた女の忘れ物がこんな時に役に立つとはな──と、刈谷は積み重ねた服をかき回す。
その時、背後に気配を覚えた。
そっと振り返ると、少女が立っていた。
「どうしたんだ?」
見れば何か戸惑っているようだ。刈谷は、クロークから離れて再び風呂場に少女を連れていった。
「何か、分からないのかい?」
優しく話し掛けた刈谷。すると、少女は自らの服を脱ごうと手をボタンにかける。
「お、おいッ!脱ぐならオレが居ない時に……!」
刈谷が出て行こうとすると、
「…ああ…う…う…」
少女は声を上げた。──何かを伝えたいのだ。
刈谷は少女を見た。かけた指が上手く動かないのか、ボタンが外れないのだ。
「そうか。服が脱げなかったのか」
刈谷は屈み込み、少女に笑顔を向けた。彼女も合わせたように笑みを浮かべた。──初めて見せた笑顔─だった。