追憶-1
とある古びたホテルの一室で一人の中年男が商売女を待っていた。
これから情事に及ぼうとする男にしては妙に沈痛な面もちで、備え付けの浴衣にも袖を通さず、背広姿のままベッドに腰を下ろし、まんじりともせずに女を待っている。
せり出た腹に白髪混じりの頭、勤勉そうな眼鏡に神経質そうな広い額。
息苦しいのかネクタイに指を引っ掛け緩めると、ポケットから取り出した青いハンカチーフで額の汗を拭う。
男の名前は高岩陸郎。
とある有名証券会社の副部長だったが折からの不況で肩を叩かれ、それが原因で一週間ほど前に妻と離婚。
娘も妻と共に家を出、今は一人暮らしをしながら職業安定所に通う日々が続いている。
しかし、慰めに女を買おうというのではない。
一人娘の放蕩に苦労させられた高岩はむしろそうした類の女を軽蔑していた。
女を待っているのは単に添い寝をしてもらう為である。
薄気味の悪い話であるが高岩は真剣だった。
妻子と別れ、一人で寝ていると様々な事が脳裏に浮かんでくる。
その中でふと、眠る美女という小説を思い出した。
初老の男が少女の添い寝を売る店で夜を過ごし、その度に夢の中で在りし日の女性を思い出すというものだ。
夢で誰に会いたいのか、それは高岩自身よく分からなかった。
ただ、夢に現れるのが昔の恋人であれ別れた妻であれ、または別の誰かであれ、人を想う気持ちが自分にあるのなら、それは自分にまだ生への執着があるということだ。
まるで辻占をしているかの気持ちで女を待つ高岩。
やがてドアの向こうから小さくノックする音が聞こえ、高岩は立ち上がった。
ドアの向こうに立っていたのは高岩の娘と同じか、もっと若い女だった。
若い肌を化粧で塗り固め、体の線も露わな服に安物のアクセサリーをぶら下げている。
ドアを開けてやると、女は物怖じせずに入ってきた。
「こんばんは。私は瑠璃。まあ、源氏名ってやつ?」
そう言って瑠璃と名乗る少女はやっつけで服を脱ぎ始めた。
「話はした筈だが、今日はそういうのじゃない」
一瞬、瑠璃と名乗る少女の手が止まり、次に破顔した。
「添い寝だけってマジだったんだ。最近、変な客が多いって先輩が言ってたけど本当だね。でもさ、服着たままじゃ寝らんないじゃん。そういうのが趣味なら別だけど」
言われて高岩は口ごもる。
「あ、いや。それもそうだな」
「だったら、おじさんも着替えなよ。私はシャワー借りるわ」
そう言ってバスルームへ入る瑠璃。
水音が聞こえ始めると、高岩は背広を脱ぎ、浴衣に着替えた。
気が付くと自分も汗臭い。
瑠璃と入れ替わりにシャワーを浴びると、浴衣に着替えた瑠璃がベッドの上で足を投げ出し、座っていた。
化粧を落とすと年相応のあどけない顔になる。
「さて、もう寝る?それとも一応エッチしておく?私はどっちでもいいんだけどね」
そう言ってベッドの上に体を投げ出す瑠璃。
所在無げに瑠璃の傍らに腰を下ろす高岩。
「取り敢えずベッドで横になろう。そうしていれば眠くなるだろう」
高岩と瑠璃は照明を落としてベッドで横になった。
高岩の隣でくぐもった笑いを漏らす瑠璃。
「こんな風に寝るだけでベッドにいるなんて変な感じ。いつもはそんな事、考える間も無くいつの間にか寝ちゃってるもん。修学旅行みたい」
「君は物怖じしないんだね。俺が怖くないのかい?」
「ん〜、こう見えて私、鼻が利くから。おじさん、気が弱そうだし……」
「……高岩だ」
「へえ、おじさん、高岩っていうんだ。学校に行ってた時、そんな名前の先生がいたなぁ。あれ?岩田だっけかなぁ。あんまり行ってないから分からないな」
瑠璃はそう言うと大きな欠伸をした。
つられて高岩も欠伸をする。
「教師なんて一番子供の身近にいる大人なのに敵視される仕事だよな。俺も君から見ればそんな莫迦にされる大人なんだろうな」
しかし、返事はなかった。
小さな寝息を立てて眠る少女。