ある卒業式にまつわる短編集-5
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「えー、では! みなさん、お疲れ様でした! 乾杯!」
教頭の挨拶も早々に、ビールジョッキを掲げて乾杯をすませると、何人かの先生たちは早速一杯目の半分近くを飲んでしまっていた。
三年間受け持った生徒たちの、今日は卒業式だった。無事にこの日を迎えた祝い、この席の主旨は、そんなところだ。
俺はあまり酒が強くない。ちびちびとしか飲めないから、本当はあまりビールは好きではなかった。
飲み会自体は嫌いじゃないけど、今日はどうも気分が晴れない。
「どうかしたんですか、氏家先生」
隣に座っていた養護教諭の児嶋先生が、心配そうに声をかけてきた。そんなに暗い表情をしていただろうか。
「あ、ああ。すみません。ちょっと考えごとを」
「……美菜都ちゃんのことですか?」
周りに聞こえないように小さな声で児嶋先生はそう言った。俺は少し驚いたが、すぐに思い出す。あのコは保健委員だった。児嶋先生には、相談していたのか。
「ご存知だったんですか」
「ええ。よく相談を受けていたものですから。秘密だと約束していたので、黙っていてすみません」
「いえ、ありがとうございます」
「今日、やっぱり……?」
「ええ」
一瞬、どういうべきか迷って、そのまま言う。
「告白されました」
そう言うと、俺は続ける言葉が見つからずに黙ってしまった。児嶋先生もなにも言わない。
なにとなく、手元のから揚げを箸で摘んだ。
「……あのコ、言ってました。片思いなんてなんの意味もないって。だから、結果がわかってても告白するんだって」
「あいつらしいですね」
相槌ではなく、本当にそう思う。あのコなら、そういう考えかたをするだろう。
左利きの俺は、箸も左手で持つ。だから、から揚げを持ち上げると、指輪がふいに視界に入った。
左手の薬指、つけてから一年にも満たない、まだ新しいシルバーリング。
どうして写真部に入部したのかわからないくらい、なにも知らないコだった。なにしろインスタントカメラすらまともに扱えないくらいで、好き嫌い以前の問題だったのだ。
おかげで、一から教えることになった。カメラの構えかたから、ピントの合わせかた、光の扱いかた。
ただ、綺麗な風景を見つけるのだけは、抜群にうまかった。
彼女が覗くファインダーには、まるで違う世界が広がっているのではと思えるくらいに素晴らしい“時”の芸術があった。
才能があったのだろう。
「先生、大好きでした」
率直に、それだけ言われた。驚きはしなかった。気付いていたからだ。ただ、無性に申し訳ない気持ちになった。
「ああ、ありがとう」
「気付いてたんですね」
俺は黙って軽く頷いた。彼女は、努めて崩さないように笑顔を作っているように見えた。
「いままで、ありがとうございました」
そして、彼女は深く頭を下げた。
彼女はカメラマンを志望している。
俺も、昔はカメラマンを目指していた。ただ、俺には才能がなかった。
彼女の夢は叶うだろうか。俺に人の才能を見抜く力があるとは思えないが、彼女ならなれる気がする。
叶うといい。彼女の将来と、それから、いい恋に巡りあうように、と余計なことまでつけ加えて願った。
来年はどんな生徒が入学するだろう。一ヶ月後の入学式に思いを移して、俺は八分目ほど残っていたビールを煽った。