ある卒業式にまつわる短編集-3
shot3.
コーヒーカップとポット、ソファ。熱帯魚の水槽。それに、どこの教室でも取り合いになっているのに、ちゃっかり確保してある電気ストーブ。
まるきりどこかのホテルかなにかのリラックスルームだ。怪我人を治療するための施設には、不要なものばかりである。
慣れ親しんだ保健室のデスクに腰掛けて、のんびりとお湯が沸くのを待ちながら、私は今朝渡された書類に目を通していた。
もう式も終わり、最後のホームルームも済んだ時間だろう。そろそろ保健委員の女の子あたりが最後の挨拶にくるころだ。
だいたいわかる。毎年のパターンだからだ。
そんなことを考えていると、案の定ノックの音がした。「どうぞー」と促すと、やっぱり入ってきたのは三年生の保健委員。
「せんぜぇー……」
「やだ、なに泣いてんのこのコは」
思わず苦笑してしまった。
「だって、だっでぇー」
「はいはい、そんなに泣かないの。一生のお別れじゃないでしょう?」
まるきり、デ・ジャビュ。すぐに気付いた。去年も似たようなセリフをはいたのだ。
「せんぜぇ、まだ会いにぎでいいですが?」
「もお、アンタ泣きすぎで何言ってるかわかんないよ」
また会いにきていい? 正直、これも毎年聞くセリフ。ウソだなんて言わない。みんなちゃんと来てくれる。卒業してから一年くらいは。
「また顔出してね。楽しみにしてるから」
「あい、ぜんせえも元気でいでぐださいね」
「ありがと。ほら、あたしなんかと話してないで。アンタは話しなくちゃいけない人がいるでしょう? 今日で最後なんだから」
彼女は最後に頭を下げて、部屋を出ていった。
この雀宮高校に養護教諭として赴任して、もう十年目になる。卒業式も十回目。保健室の先生なんて、生徒と関わることはほとんどないと思っていたけど、意外にもそれは多かった。
保健委員、病弱なコ、サボリ魔なヤツ。話しやすいのか、悩み相談もよくされた。十年の間に関わった子は、みんな覚えてる。
むこうは、私のことを覚えてるだろうか……、ふとそんなことが頭を過ぎって、私は頭を振ってそれを打ち消した。
コンコン、とまたノック。今度はだれだろう。生徒のだれかかと思ったが、違った。
「いま、いいかしら。児嶋先生」
入ってきたのは、三年生担当の美作先生だ。いや、三年生担当だった、といったほうが正しいか。
「あ、美作先生。もう終わったんですか」
「ええ、さっき。お邪魔します」
「どうぞ。いまコーヒーいれますね」
ちょうどお湯が沸いたところだった。インスタントコーヒーを棚から取り出して、二人分準備する。美作先生はソファに座ってぼんやりと外を見ていた。
「今日で最後なのねえ……」
コーヒーを机に置いて、むかいの椅子に座ったとき、美作先生がそう呟いた。私に言ったのか、独り言か、わからない。
「ええ。お疲れ様です」
「さみしいものよね、教師なんて。みんな卒業していくのに、私たちはいつまでも学校に残ってる」
美作先生の視線を追って、私は正門のほうを見た。学生服の生徒たちが帰っていく。あの中の何人かは、もう二度とあの門をくぐることはない。
いままで私が関わってきた子たちにとっても、すでに学生時代は、過去のことなのだろう。
そして、私たち教師も、その風景のひとつに過ぎない。
でも……。
「でも、それでいいんだと思います。教師なんて」
私はそう言ってコーヒーを一口すすった。熱さと苦みが口の中に広がって、風味が鼻に残る。インスタントでも十分美味しい。
「そうね」
美作先生は少し微笑んで、同じようにコーヒーをすすった。
「なかには戻ってくる子もいるけどね。あなたみたいに」
そして、私と美作先生は顔を見合わせて、少し笑った。
下校時刻を告げるチャイムが、スピーカーから響いていた。