崩壊〜結末〜-8
「…これは、どういう意味です?」
仁志は怪訝な表情で服に目をやると、顔を上げて凉子を見つめた。
「今日は帰りなさい。って意味よ」
「さっきも言ったでしょう。ボクは帰りませんよ」
「仁志。それはあなたの言い分よ」
凉子は表情を曇らせる。
「私にも医者としての都合が有るのよ。聞き分けなさい」
「…でも、ボクはもう、偽りの関係の中に居るのがイヤなんだ」
「誰も元に戻れとは言ってないわ」
「エッ…?」
肩に手を掛け、柔らかに微笑む凉子。
「こうなった以上、あなたを預けておくわけにはいかない」
「じ、じゃあッ!」
仁志の顔がみるみる輝いた。
凉子も溢れる笑顔で深く頷く。
「1週間、時間をちょうだい。それまでに準備するから」
「1週間…ですか?」
「ええ。その間に、叔母夫婦や病院と話し合うから。それまでは今まで通りでいてちょうだい」
仁志には納得出来なかった。が、ここまで説得されては従うしか無かった。
「じゃあ凉子さん。待ってますから」
「分かってる。おやすみなさい」
にこやかに微笑む仁志の姿に、凉子は笑顔で手を振った。
入口のドアが閉じた途端、凉子は両手で顔を覆った。
深夜。自宅前に停まったタクシーを降りた仁志。空を仰ぐと満天の星が瞬いている。
(凉子さんからもらったお金、ちょうど無くなったな)
これから訪れる事になる新しい生活に、仁志の心は夜空の如く澄み渡っていた。
それから数日が経った。
ずっと悩まされていた仁志の血便が無くなった。陰性だった検査結果と待ちこがれる凉子との生活が、体調を良い方に向かわせたのだろう。
その間、あれほど執拗だった真仁や優子の凉子に対する拒否の言葉も、沈黙を保っていた。
そして約束の1週間目を迎えた。
仁志は、喜び溢れる笑顔で凉子のマンションを訪れた。
いつものように部屋番号と呼び出しボタンを押した。
しかし、部屋からの応答が無い。
(…きっと仕事が忙しいんだな)
仕方なく仁志は携帯で連絡を取ろうとする。が、携帯はすでに使われていなかった。
(どういう事だ…?)
不安が胸をよぎる。
ちょうどその時、マンションの住人が出てきた。仁志は間隙をすり抜け中へと入った。
エレベーターを降りて凉子の部屋の前にやって来た。そこには、小さな鉢植えはおろか表札も無かった。
「な、なんだよッ!これはッ!」
仁志はドアを叩いた。強い力で殴り続ける。
「凉子さん!凉子さんッ!」
必死の思いで叫ぶ仁志。が、その声は虚しく響くだけだった。