風-1
テニスコート脇のフェンスに手を掛けて、頬を染めながらいつも誰かを見つめている。
そんな彼女の存在に気付いたのは、いつだっただろう。
校舎の一階に位置する美術室から見えるその光景は、極めてありふれたものかもしれない。
だが、吹きつける風に髪とスカートの裾を揺らしながら佇む姿が、まるで一枚の絵画の様で……俺はいつの間にか、目を奪われる様になっていた。
「真嶋くんって、いつも何を描いてるの?」
彼女の姿を見かける様になってから、約3ヶ月……彼女はよく、美術室の窓から顔をのぞかせて俺に声をかける。
「そう言う天羽さんこそ、そこでいつも何を見ているの?」
俺はキャンバスの上にやっていた視線を少しだけずらして、そう答えた。
彼女が連れてきた風が一瞬だけ頬を撫でたのには、全く気付かないフリをして。
「ふふっ、何だと思う?真嶋くんが教えてくれれば、教えてあげないこともないかな」
「俺が教えたって、天羽さんは教えてくれないだろ?」
「さぁ、どうでしょう?」
そう言って彼女は、わざとらしく首を傾げた。
俺の質問に、彼女はよく質問で返す。
まぁ、オレも彼女の事は言えないが……俺たちの会話が“はてなマーク”だらけになってしまうのは、よくある事だ。
一見、会話が成立していない様にも見えるが、これはこれで成り立っている。
「ねぇ、あたしと真嶋くんって、なんだか似てると思わない?」
彼女は徐に窓枠に背を預け、テニスコートへと視線をやった。
彼女が視線を向ける先では、まさに今、テニス部が今日の練習を終えようとしている。
「どうしてそう思うの?」
「空気が似てる、から?」
「なんで、そこでわざわざ“はてな”を付けるワケ?」
「真嶋くんこそ、なんで?」
「………」
お互いに譲歩しない、探り合いみたいな会話はたまに面倒くさい。
それなのに不本意ながら、彼女との会話は嫌いではない。
「風、気持ち良いね」
彼女は静かにそう呟いて、風にさらわれる髪を押さえた。彼女を包むその風は、俺の所までは届かない。
風の中にいる時の彼女はいつも、俺に向けるものとはまるで違う、別人の様な目をしている。
会話の中では敢えて知らないフリをしている俺だけど、その瞳で何を見ているのかは、実は訊くまでもなく分かっている。
彼女の視線の先にあるもの……それは、いつだって変わらないのだから。
「あっ、荒川先輩、お疲れさまーっ!」
彼女は急に笑顔を浮かべ、バラバラと人が帰り始めたテニスコートに向かって、嬉しそうに手を振った。
その先には、彼女と同じ様に手を振る男の姿がある。
ほら、わざわざ訊くまでもない。
誰を見ているのかは、一目瞭然だ。
「さて。じゃあ、あたしは帰るね。荒川先輩、部活終わったみたいだから」
窓枠から背を離し、彼女はこちらを振り返った。
「そう。あっ、ちょっと待って、天羽さん。帰る前に、さっきの返事」
「さっきの返事?」
「天羽さんと俺が似てると思うか、ってコト」
「あぁ。それで?真嶋くんはどう思うの?」
俺が同意するのを期待してか、彼女の瞳は輝いている。風が吹く度、髪が楽しげにサラサラと揺れる。
「似てないと思うよ」
俺がきっぱりそう言うと、彼女は怪訝そうに顔を歪めた。
どうやら、と言うかやっぱり。俺の返事はお気に召さなかったらしい。