闇の重さ-1
「ママー、ごめんなさい! ママー、痛いよー!」。ピシャッ、ピシャッ。今夜も母の私のお尻への平手打ちが容赦なく続いた。スカートをまくられ、下着を下ろされた小学生の私には、ひたすら耐える以外になす術がない。「ママー、定規はイヤ」「つべこべ言わないの。どうしてS子はお行儀よくご飯が食べられないの? 口で言ってもわからない子だから仕方ないわね。ほら、隠さないでちゃんとお尻を出しなさい!」。 バシッ、バシッ。「痛いよー。もうお行儀よくするよー」。
それは躾というより、虐待と言ってよかった。母が短気なのには理由があった。心臓が悪かった母には炊事も掃除も重労働だった。床にご飯粒を落としただけでもお尻を叩かれる日々。父は出張と残業でほとんどいない。笑顔のない食卓。怯えながら食べる晩ご飯。そんな日々に、ある日突然終止符が打たれた。4年生の春、母は発作を起こしてあっけなく急逝した。
私は正直、ほっとした。炊事はいつも母を手伝っていたので不自由なくできたし、何より怒られずにご飯が食べられる。一人の食卓は淋しさを感じるよりも、自由なのがありがたかった。
ちょうど母が亡くなって1週間目の夜、私は母の夢を見た。まだ元気だった頃の母だった。暮れなずむ近所の神社の石段に母は佇んでいる。私が3つの時、母が七五三に連れて行ってくれた記憶がかすかに残る神社だ。「ママー」。私は石段を駆け上がった。母は微笑んでその場にしゃがみ込んだ。私が母の胸に飛び込んでいくのを待っていたのだ。「ママー」。飛び込んだはずの母の胸はいつの間にか闇に溶けていた。
目が覚めて、私はベッドから起き上がった。父はまだ帰らない。闇のこちら側に一人ぽつんと取り残されたような気持ちだった。四角い羊羹のような四畳半の闇に、私は呼びかけた。「ママー」。
父が再婚したのはその2年後のことだった。新しい母はずっと若く、私には姉のような存在だった。私はその母をずっと「お姉ちゃん」と呼んでいた。
私はすぐに新しい母に懐いた。母が私の家に来るようになった頃のことだった。「S子ちゃんは偉いね。パパのご飯まで作って。今日はお姉ちゃんが作るから、S子ちゃんは遊んでていいのよ」「はーい。パパ今夜も遅いのかな」「二人で先に食べよう」。
母が作ってくれたご飯を食べていた時だった。私は誤ってご飯粒を床に落としてしまった。「ごめんなさい」。私は青くなって急いで拾おうとした。それを見た母は困惑顔で言った。「どうしたの? そんなこと気にしなくていいのよ。お腹空いてるんでしょ? 早く好きなだけ食べなさい。ご飯は楽しく食べなきゃ体によくないわ」。そう言うと、母は床のご飯粒を拾ってくれた。
私は中学生になった。母は何でも私の言うことを聞いてくれた。「お母さん、これ買って。お母さん、これも欲しいな」。母は自分のお給料からいつも私のお小遣いを捻出してくれた。私と母のじゃれ合うような姿に、父は満足そうだった。そんな親子関係にひびが入り始めたのは、私が高校生になった頃だった。
私は暴走族の友達とつきあうようになった。夜遊びと金遣いが激しくなった。「S子ちゃん、こんな遅くまで。もうお父さんが帰ってくる時刻だわ。あなた、どんなお友達とつきあってるの?」「お友達? そんなの母さんには関係ないじゃない。それよりお母さん、今月ピンチ。もう少しお小遣いくれないかな?」。母は悲しい顔をした。が、夜遊びを控えるという条件で渋々私にお金を渡してくれた。
私はいつしか、母の財布から黙ってお金を抜き出すまでになっていた。ある日それがばれ、母に咎められた。「お父さんには黙っててあげるから、もうお願い、こんなことしないで」「黙っててあげる? 恩着せがましいこと言わないでよ。告げ口でも何でもすればいいじゃん」。そう言うと、私はまた家を飛び出した。
その頃から、死んだ母の夢をよく見るようになった。母はいつも淋しげに佇んでいた。ある時は家の庭に、ある時は近所の神社に。「お母さん」。ある日、私がそう呼びかけると、母は夜の闇へと消えていった。