王子様と私 2-1
たかが一度の夜で自惚れるほど、私は馬鹿じゃない。
私の育った第十二領は、他の領から隔てられるように、川を挟んだ国の外れに位置する。
気候もよく四季もはっきりしており、農業も林業もさかん。贅沢を望まなければ、生活のほとんどを自給自足で補うことができる。他の領との交流は皆無に等しく、外へ行くにしても、リゾート地で海のある、第八領にたまに息抜きに行くくらい。
そんな特徴から、わりと後ろめたい過去を持つ者がが流れて来ることが多いのだが、だからといって治安が悪いわけではない。むしろ良いようだと私は思う。
おかげさまで、私は流行も何もよくわからない地味な田舎娘。それ以上でも、以下でもない。
たしかに領の中ではきれいな方だったし、学問も教養もそれなりにあった。
ここではそんなせまい世界での栄光なんて、なんの意味も成さないのだけれど。
「私は、自分が特別だと思ったことはありません」
そんなわけで、立ちはだかるきらびやかな令嬢に、私は言い切った。
第九領から献上された彼女は、地元が華やかな歓楽街であることも大いに関係してか、とても妖艶で美しかった。
手、ひとつとっても私とは違う。白魚の、と形容されるのはまさにこういった手なのだろう。
「そう。ならいいのよ」
艶のある微笑みに、ぞわりと心を掴まれるようだった。
同じ侍女であるはずなのに、甘い、夢を溶かしたような香り。結い上げられたやわらかな亜麻色の髪や薔薇色の爪は、よく手入れがされている。
努力というよりも、全身からお金の匂いがする。
なんとなく水の合わない人だと居心地悪く思った。
「十二領の田舎娘が出すぎたことをしてはいけないわ。二十五歳なんて待たずにとっとと出ておいきなさい。ここはあなたがいるべき場所ではないのよ」
王族に未婚の男性がいる場合、領主の親族で十八歳の娘はすべて平等に城に献上されることになっている。
見初められ、身篭った場合は伴侶とするが、そういったことがなければ、娘たちは二十五歳で城を下る。どちらかといえばそれは名誉なことで、献上されるような美しさや教養があると認められた、ということになるらしい。
とにかくこの国はとても平和であるけれど、やはり王族は富のある領の娘と婚姻関係を結んでいる。
その理由に、第十二領と王族が婚姻関係を結んだことは歴史の中で一度もないのだ。
「私もその意見には同感です。ですが、それを決めるのは私ではありませんから」
「ならば、私が進言してさしあげましょうか?」
だからどうしてこんな田舎娘に、そうムキになるのですか。ずっとあなたの方がおきれいですし、お金も持っていらっしゃるでしょう。
胸中では悪態ばかりの自分が嫌で、図らずもため息がこぼれた。
このままだと家族のことは大好きだというのに、自分の出生を嫌いになってしまいそうだ。
「……ご自由になさってください」
たぶん、あの二日前の望まぬ出来事は相当な衝撃だったのだ。
この不毛なやり取りも、相手こそ違うが今日だけでもう三度目。人生でこんなに注目されたことなんてない。もちろん、喜ぶ気にはなれなかったけれど。
私はため息をひとつ吐いて、水の入ったバケツを持ち、雑巾を握り締め、長い廊下を歩き始めた。
仕方がない、脇役がいるから主役がいる。人は一人じゃ立ち位置を確認できないのだ。
とにかく今は掃除だ。それしかない。