『壁の向こう』-1
(また今日も聞こえるかな…)
今年の春から社会人になった神崎渉は今晩も胸を期待に踊らせてベッドに横になると、壁にぴったりと耳をつけた。
『ああっ!あん…はあっ…』
壁の向こうからかすかに、しかしはっきりと女の喘ぎ声が聞こえた。
(き、聞こえた!)
渉はすっかり堅くなった下半身を握り締め、その喘ぎ声に合わせて上下に扱き始めた。
『はあ…はぁん…んんっ!ああ…』
「うっ…はあ…はあ…」
渉の手の動きがだんだんと速くなる。いきり立った自身の先からは早くも透明な液が染み出していた。
『ああっ!ああ…んあっ!!』
絶頂を迎えるのか女の喘ぎ声が高く、大きくなってきた。女が激しく自分の陰部を掻き回している姿が渉の目の前にありありと浮かぶ。
(ううっ…もういきそうだ…)
『んああっ!いくっ!あああああーっ…!!』
(ああ…でるっ!!)
渉が射精した瞬間声の主も絶頂を迎えたようだった。先程までの激しさが嘘のように、渉の狭い部屋は夜の静寂で満たされていた。
渉がこの自慰を始めたのはつい最近のことだ。先月渉の隣りの部屋に上杉亜弥という女性が引っ越して来た。まさにキャリアウーマンという風貌の彼女に渉は何となく苦手な印象を持っていた。しかし一週間前、彼女の喘ぎ声を偶然に聞いてしまってから、渉は亜弥を完全に性の対象としてみるようになってしまっていた。
最初に亜弥の喘ぎ声を壁の向こうに聞いた時、渉は男がいるのだと思った。しかし角部屋の亜弥が男と連立って帰ってくれば、二人分の足音が聞こえたはずだ。そのような気配は全く無かった上に、翌朝亜弥の部屋から出て行く人物はいなかった。そうして渉は亜弥が一人で自分を慰めているということに気付いたのだった。
亜弥はこのアパートの壁が薄いことに気付いていないのかもしれない。そうでなければこちらの壁際にベッドを置くことはしないだろう。夜な夜な亜弥の悩ましげな声を盗み聞きする度に渉は罪悪感を感じていた。しかしその声をもっと聞いていたいという気持ちの方が勝っていた。そうして渉は夜になるとついつい壁越しの物音に神経を集中させてしまうのだった…。
「おはようございます」
次の日の朝、渉が部屋から出ると亜弥が声をかけて来た。
「お、おはようございます。今日遅いんですね」
渉は思わず動揺する。駅まで連立って歩きながら、渉は亜弥の横顔を盗み見ていた。今日も綺麗にアップされた髪型と完璧なメイクに全く隙はない。美人だがやはり近寄り難い雰囲気を感じる。
(この人が夜はあんな声で…)
「どうかしました?」
渉の視線に気付いたのか亜弥が訝しげにそう問い掛ける。