菓子-2
チョコレートは溶けやすいよう細かく刻んで、弱火にかける。タマゴは卵黄と卵白にわけて別々のボールへ。
さすが私。手際がいい。
卵白に砂糖を混ぜて、泡立て器でメレンゲを作る。これはなかなか重労働だ。うちにはハンドミキサーがない。欲しいけど、ちょっと高い。
お菓子作りは久しぶりだ。クリスマスに、ブッシュ・ド・ノエルを作って以来やっていない。あの人はよく食べたいと言っているけど、そんなにいつも作れるものじゃないのだ。
チョコレートがトロトロに溶けたところで、バターと卵黄を混ぜ合わせる。メレンゲを作るのに思ったより時間がかかって、危うく焦がすところだった。
カカオの香ばしい風味がキッチンに広がっている。ナベの中でクリーム状になったチョコレートは、とっても――
――不味そうだ。
私は、甘いものが苦手だ。
コーヒーはブラック。紅茶もストレート。砂糖が入ったものは、全く食べられない。もちろんチョコレートもだ。ケーキなんて以っての外。
生地がほどよく混ざったところで、次はメレンゲを三分の一ほど馴染ませる。それが仕上がったら、粉砂糖をふるって、残りのメレンゲを全部混ぜる。もう4時が近い。ちょっと急がなければ、晩ご飯を作る時間が無くなってしまいそうだ。
型に流し込んで、180℃のオーブンをセットした。あとは焼き上がりを待つだけ。
上出来、上出来。
旦那はケーキを楽しみにしていた。これなら期待外れということもないだろう。きっと、心から喜んでくれるに違いない。
晩ご飯はなににしようかと考える。ケーキで贅沢しすぎたから、あるものですまそう。パスタとツナ缶を見つけたので、ブロッコリの和風パスタを作ることにした。
*
パスタもあとは皿に盛りつけるばかり。ケーキの焼き上がりもいい感じだ。
テレビではお金がない主人公が、ブタの貯金箱を叩き割っている。ドラマの再放送だ。時間はもう5時をすぎている。
旦那は編集社の社員だ。私は、亭主の仕事もきちんと把握していないようなダメな嫁じゃない。業界大手三ツ葉社の編集部第ニ課係長。文芸雑誌の出版に関する雑務と、連載作家の管理を任されている。先日は彼が目をかけた作家が新人賞を受賞して、ボーナスが出た。その受賞作は少年犯罪を題材にしたミステリーで、まあまあ面白い。
いい人だ。
優しいし、真面目だし、妻の贔屓目かもしれないけど、男前。仕事もできるし、浮気もしない。しない、と思う。
そしてなにより、私のことを愛してくれている。私のことを、大切にしてくれている。
――だから、彼は全然悪くなんかない。おかしいのは、私のほう。
皿に盛りつけるばかりにまでパスタを整えて、私はぼんやりと彼を待っていた。チョコレートケーキも焼き上がり、今はオーブンで保温している。
なんとなく“それ”を取り出して、眺める。きっと彼は想像もしていないだろう。私がこんなことを考えているなんて。
結婚とお菓子は同じくらい甘い――でも、私は甘いものが苦手だ。
あの人と結婚して、私は幸せな生活を手に入れた。毎日家事に追われ、好きな人のために毎日料理を作る。そう、まさに、甘ったるいほど平和な毎日。
ごめんなさい、と私は心の中で彼に謝罪した。でも、もう――甘いものは食べられない。
手にした“それ”。中には白い粉が入っている。小さな瓶。ラベルには『青酸カリ』とある。
あの人のために作ったチョコレートケーキの香りが、家中に広がっていた。
あの人はもうすぐ帰ってくるだろう。私のバレンタインディの贈り物、特製のクグロフ風チョコレートケーキを、楽しみにしながら。
※作中の引用として扱われている本は、私の創作であり、架空の本です。
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