エンジェル・ダストA-3
細菌、防疫の研究室と同じ実験棟。その4階を大河内は訪れた。
「これは大河内教授。ご無沙汰しております」
途端に一人の男が近寄ってきた。白髪混じりの頭からすれば大河内と変わらぬ歳だろう。スマートな彼とは違い、少々太り気味の身体に白衣が窮屈そうだ。
男に合わせるように、大河内も会釈を返す。
「お互い、同じ実験棟に居ながら出会う機会がありませんな」
「まったく。同じ大学の職員なのに…」
お互いが顔を見合わせて笑った。その様は仲の良い友人のように映るが、2人は大して面識が無かった。
竹野隼人 60歳。機械工学を研究する教授だ。
「ところで大河内さん。今日は何の用で?」
竹野の問いかけに、大河内は表情を強張らせる。
「実は竹野さん。先日、貴方が発表された論文を教えて頂きたいのです」
「ああ。あの論文ですか…」
竹野は、据え置かれたパソコンを立ち上げると、ディスプレイの電源を入れた。
「そもそもの発想は、物理学者であるファインマンがカルフォルニア工科大に在籍していた1959年に発表したんです……」
そこから、竹野は論文の骨子を大河内に分かり易く語り掛けた。
同じ教授とはいえ、専門が違えばその知識は素人レベルしか無くても不思議ではない。
それが分かっている竹野は、それこそ中学生にでも教えるように伝えた。
「……以上が論文の要旨ですが」
竹野の話を聞いた大河内は、胸が熱くなるのを感じた。新しいウイルスを発見した時のような、喜びが湧き上がる。
「…その場合、どうやって作り出すのかね?」
「現在はリソグラフィー法という工法で簡単なモノは出来ます。しかし、私が研究しているレベルでは工法そのものを設計しているところです」
「…なるほど。素晴らしい研究だ」
大河内は、ため息とともに感嘆の声を漏らす。
「現在は、走査型フローブ顕微鏡を応用したモノを用いてますがね」
他分野の教授に賛辞を受けた事がよほど嬉しいのか、竹野は次々と研究成果を話していく。
「…それから、こっちが私が設計したモノで、有機物を」
「竹野さん、もう結構です。これ以上は範疇外ですから」
大河内は竹野の話を途中で遮ると、深々と頭を下げて部屋を出て行った。
「範疇外って…元々、専門じゃないだろうに」
竹野は、ポカンとした顔で大河内の消えたドアを見つめていた。
(…間違いない…この条件なら、あんな結果が出てもおかしくない…)
大股で実験棟を歩き去る大河内。ようやく掴んだヒントに、その顔は晴れやかだ。
(明日、やってみよう。そうすればシロクロはっきりする)
これまでの5日間が嘘のように、勇む気持ちで満ち溢れていた。