高崎竜彦の悩み 〜恋語り〜-3
「いかがでした?」
俺の顔に視線を張り付かせながら、待山さんが尋ねてきた。
……ん?
待山さんの頬に、赤みが差している。
酔っているのでもライトの加減でもなく赤いという事は……あ。
何の気なしにワインをいただいちまったが……これ、待山さんが口を付けたグラスじゃないか。
失敗したなぁ。
店を出る前に思わせ振りな態度はしないようにしようって、自分を戒めといたのに。
って、待山さんが俺に好意を抱いてるっていう前提で考えるなよ。
我ながら……自惚れ、強過ぎ。
「あ、あぁ……うん、美味いよ」
自分の一言を誤魔化すように呟いた俺は、ギムレットをあおった。
ギムレットを空にして、今度はサイドカーを注文する。
……ちょっとペースが早いかな。
あ〜、でもあいつらと飲む時に比べりゃ緩いか。
「本当!?よかった!」
顔を輝かせる待山さんを見て、俺は唇を舐めた。
何かやばいと思うのは、自惚れのせいだけじゃないような気がしてきた。
来たばっかりだけど、こりゃ切り上げた方がいいかな……。
「ごめん、ちょっと……」
言葉を誤魔化して、俺は席を立った。
トイレに行くふりをして待山さんの目につかない場所へ行き、携帯を取り出して龍之介に電話をかける。
すぐに、龍之介は電話に出た。
『兄さん?』
「よ、龍之介」
『何かあったの?』
「いや、ちょっとまずそうな事態が発生してな……美弥ちゃん、いるか?」
俺の質問に、龍之介はくすくす笑いやがった。
「寝てるから大丈夫。安心して帰ってきていいよ」
寝てる?
う〜ん、女泣かせめ。
「悪ぃな。今から帰るわ」
また下世話な想像をしてしまった事に自己嫌悪を感じつつ、俺はそう言った。
『はいはい。待ってますよ〜』
見えないのをいい事に舌を出した俺は電話を切り、待山さんの所へ戻った。
待山さんは、二杯目のワインを楽しんでいる。
「待山さん」
眉間に大変そうな雰囲気を漂わせた表情を取り繕って声をかけると、待山さんが振り向いた。
「高崎さん」
「ごめん。弟が……」
龍之介をダシにして適当な理由をでっちあげた俺を見て、待山さんは頷いた。
「分かりました。残念ですけど……」
「本当に、ごめんな」
そして俺は会計を済ませて、バーを出た。
家に帰ると、弟はリビングで呑気にテレビを見ていた。
美弥ちゃんはといえば……片手で弟の左手を握り、左腿を枕にして安らかに眠っている。
毛布をかぶってすぴすぴ眠る美弥ちゃんは、何とも無防備だなぁ。
ってか、女泣かせっていうのは……俺の早とちりかぃ。
「あれ……って、ああ」
何でこんな時間まで家で寝かせてるのかと思ったけど、そういや今日も明日も世間様は休日だったっけ。
人の休み時が稼ぎ時の職業だと、曜日の感覚が曖昧になるよなぁ。
「おかえり」
「ただいま」
簡潔に挨拶を済ますと、俺は台所に行って冷蔵庫を開けた。
中からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、グラスに注いで一気にあおる。
それを見た龍之介が、眉をしかめた。
「……荒れてるね」
「……そう見えるか?」
美弥ちゃんの頬にかかった髪を梳き上げてやった龍之介は、苦笑しつつ俺を見る。
「そんなにデートが嫌なの?」
げっ!
「宮子か?」
俺の声に、龍之介は肯定の頷きをくれる。
「仕事が終わる頃に、電話があったよ。『喜べ!竜彦が女とデートだっ!!』てさ」
あいつ……ばらすなよ。
「で……その時、気になる事を聞いたんだけど」
美弥ちゃんが寝ている事を改めて確認し、龍之介は切り出した。
「兄さん……まさか、僕に遠慮してないよね?」
ぎくぅっ!
「やっぱり……」
俺の体がびくついたのが分かったのか、龍之介が眉を曇らせる。
うぁ、ばれちまった。
――弟の心身に取り戻せない程深い傷を付ける事態を招いてしまった罰として、俺は自分を幸せにする事を注意深く避けてきた。
パティシエの道を選んだのは俺とあいつが出会った道を再び歩んで自分を痛め付けようとしたのが理由の八割くらいだし、恋愛なんてもっての外だ。
ひどい女と付き合って苦労するのも懲罰の一環として悪くないなと思ったが、それは相手方に対してこの上ない程に失礼な事なので止めた。
それに、万が一その女を好きになったらまずいじゃないか。
「兄さん。ここに来て」
有無を言わせない弟の口調へ、俺は機械的に従った。
頭の中では、天を仰ぎながらな。
「兄さん」
真向かいに座った俺へ、弟は諭した。
「僕は今、凄く幸せだよ。あの人の事なんか、足元の塵よりも気にかけてない」
うわぁ、そこまでか。
「体はまだ女の人を拒否するけど……これは必ず、克服してみせる」
「ん〜」
タイミング良く(悪く?)、美弥ちゃんが呻く。
その声に笑ってから、龍之介は続けた。
「だから兄さん。兄さんは、兄さんの幸せを捜してよ。僕の幸せはもう見つけたし、これを離すつもりもない」
「ん〜、りゅう〜」
毛布に包まれた龍之介の幸せの塊は、手を伸ばして弟を求めている。
その手を握ってやりながら、弟は俺を見た。
「僕はもう、大丈夫」