伊藤美弥の悩み 〜初恋〜-11
「……うぶっ……」
開放された紘平はその場にしゃがみ込み、激しく嘔吐する。
げぇげぇと吐瀉物を撒き散らした紘平は、咳込んでから立ち上がった。
「美弥にした事……これで償えるんか?」
ぴくりと、龍之介の眉が震える。
「この程度で?」
吐き捨てる龍之介の目を見て、紘平はおぞけを振るった。
もしかしたら自分はこのまま殺されるんじゃなかろうか、とすら思える。
「とはいえ、下手な事をすれば美弥が悲しむからな……肉体的な暴力は、いちおう終わりだ」
その言い回しに、紘平はますます恐怖を抱いた。
言い回しからすると、今度は精神的な暴力が始まるのである。
「ま、僕が直接手を下す訳じゃない……協力者に、判定して貰う」
龍之介は、声を出して呼ばわった。
「笹沢さん」
呼び声に応え、物影から物凄い美人が現れる。
「紘平……」
笹沢瀬里奈は、くしゃっと顔を歪めた。
そんな顔でも美しいのだから、つくづく美人は得である。
そして紘平に対する龍之介の怒りが、よく分かった。
苦手な瀬里奈に、協力を要請したのである。
「あんたが美弥をレイプしかけたなんて、信じたくなかった……」
瀬里奈は呟くように言った。
「でもあたしは高崎君がそんな嘘つかないの知ってるし、美弥は友達だし……本当の事を知りたいから高崎君に協力して、学校教えたのよ……」
「瀬里奈……」
紘平は、顔を歪める。
「何で……あたしじゃ、あたしじゃ不満なの!?」
言い募りながら、瀬里奈は泣きたくなってきた。
「高崎君。ここ……あたしと紘平の、二人きりにしてくれない?」
「……笹沢さんが、望むなら」
龍之介の姿が見えなくなると、瀬里奈は紘平を離れた場所に移動させた。
吐瀉物の臭いを嗅ぎながら、話などしたくない。
楽な姿勢で座らせた紘平の隣へ、瀬里奈は腰を下ろす。
「あたしじゃ……不満?だから、美弥に手を出したの?」
呟くような声で、瀬里奈は尋ねた。
「……ちゃう……」
何度か咳込んでから、紘平は答える。
「あん時は……どうかしとった。すっかり女らしくなって、周囲にカベ作らんようになったあいつを作ったんが、龍やんだって知って……俺に出来んかった事をあっさりやってのけた龍やんも、それを受け入れてすっかり変わった美弥も…………妬ましかったんや」
咳込みながら、紘平は続けた。
「悔しゅうて俺、アタマん中がグッチャグチャなってん……」
呟きに近い声を聞いた瀬里奈は、ため息をつく。
「でもだからって……やっていい事と悪い事の区別もつかないの?」
紘平は、自虐的な笑みを浮かべた。
「美弥が逃げ出した時な……俺、そん時ようやく自分がえっげつない真似してもうたのに気付いてん。せやから龍やんに殴られるのも当然やと思うたし、贖罪の一環として受け入れたんや……」
「……!」
贖罪の一言が、瀬里奈の胸に響く。
たは、と紘平が笑った。
「けど龍やん、えろぅぶん殴ってくれたなぁ……この調子なら、三日はメシ食えんで」
「あんたは、それだけの事をしたのよ」
瀬里奈は言う。
「選りにも選って、高崎君から美弥を寝取ろうなんて……あたしでさえ無理だったのに」
紘平は最初、さらりと聞き流した。
「……?」
だが何か……魚の小骨が喉に引っ掛かったような違和感を感じ、瀬里奈の言葉を反芻する。
「…………何やて!?」
しばらくして、紘平は素っ頓狂な声を上げた。
「去年の今頃から今年の元旦頃までね、あたしあの二人に割って入ろうとしてたのよ」
瀬里奈は、肩をすくめる。
「あの頃のあたしは男との仲がうまくいかなくて、腹いせに好きでもない奴を弄んでた。結局そいつにはフラれたんだけど……失恋した直後の泥沼状態から救い出してくれたのは、あの二人だったのよ。二人とは、それ以来の仲」
「は……!」
「フラれてヤケになって自殺でもされたら寝覚めが悪いからって……本当に、よくしてくれた」
瀬里奈の瞳に一瞬、あの時の情景が思い浮かんだ。
だがそれは、すぐに消えてしまう。
「恩があるのはもちろんだけど、あの二人は誰かを陥れる嘘なんかつかないわ。最初はあんたが美弥の事を……って聞かされて、疑ったけど……」
瀬里奈は紘平をひた、と見据えた。
「もう一度、聞くわね。紘平、あんた……あたしが恋人じゃ、不満?」
紘平は、首を横に振る。
「じゃあ、もう……浮気なんか、しないで……あたしの友達を……あんたの幼馴染みを、犯そうなんて思わないで……」
それを聞いた紘平は、不思議そうな顔をした。
「赦して……くれるんか?俺の事……」
瀬里奈は、微笑む。
「赦して欲しくないの?」
逆に問われた紘平は、瀬里奈から視線を逸らした。