『砦』-5
「今もし彼女から電話がきたらどうする?」
「まぁ…、ヤバいよね…」
「てか電話してみようか、あたし」
ヒロアキの携帯を手に取ってニッとした。
「おいおいおい」
「うそだよ。あの子の声なんか聞きたくないし」
ヒロアキは頭を起こしてあたしを見る。
「あたし、あの子嫌いだもん」
ようやく声に出して言った。
「そう…なんだ」
二の句が継げられない、といった感じだ。
あたしはヒロアキの顔を両手で掴む。
「びびった?」
「いや…」
「怖くなった?」
「そんなことはないけど…」
両方のほっぺたをつまんだ。
「安心してよ、なんもしない。そんなことしたってあたし、何のメリットも無いもん」
プライドなら十分満たされた。
「そりゃ…そうだ」
あたしは手を離す。
「たださ、カナエは誤解してるかもしれないけど…」
「何を?」
「俺らが付き合ってた時さ、カナエ、結構俺とニシマエのこと疑ってただろ?あれ、ホント何もなかったからな」
あたしは微笑んでうなずいた。
「あの時は気持ちに余裕がなかったからね、あたし」
ヒロアキは驚いたような顔であたしを見た。
「そうやって自分の事振り返られるの、大人になった証拠だよ」
「でもね、そんな疑ってた頃とか差し引いても彼女のことは嫌いなの。ごめんね」
「そんなら…、まぁ仕方ないけど」
そう、問題はそこじゃない。今更そんな弁解が欲しかったワケじゃない。
それが真実か嘘か、あたしには本当には分からないし、どうでもいい。
あたしと別れて、彼女と付き合ったことの方が何よりも問題なのだ。
―プライドが高いにも程があるな…。
自分が可笑しい。
あの子への勝利が何よりも欲しかったのだ。
「カナエは本当に変わったな。昔はこういう遊びでするエッチはイヤだって言ってたじゃん」
あたしは笑ったまま何も答えない。これは遊びじゃなく賭けだったのだ。
ヒロアキがバッとあたしの身体を抑え込む。
「する?」
「す、る」
ヒロアキの唇があたしの首筋をなぞる。ゆっくり上って、あたしの唇を捕らえようとする。
でもあたしはするりと避けた。
「キスはヤダ?」
「うん」
「わかったよ」
ヒロアキは笑って行為に没頭する。
―唇は、最後の砦なの。
絡む腕は蛇の様。
蛇の交尾が脳裏に浮かぶ。絡み合う二匹は艶めかしく、美しい。
数ある生き物の中で、あたしは蛇の交尾が一番官能的だと思う。
あの密着感はどんなものにも敵わない。
冷静に考えている自分がおかしい。首より下は今は自分の身体では無い。
―ごめんね、ヒロアキ。
汗と絡んで彼の体臭がつんと鼻につく。
あたし、ほんとはヒロアキのにおいが好きじゃなかった。でも、好きだったからそれ含めても許せた。
今はもうそんな気持ちはどこにもない。