アンダー・ザ・スカイ-4
「当時私は、全く売れないシンガーでした」
男は語りだした。それは私に聞かせるというよりは、自分に言い聞かせるように。
「不幸は重なるものです。親父が倒れ、他界。母親はショックで寝込んでしまったのです。もう辞めようと思いました。普通の仕事に就き、普通の家庭を持ち、普通の暮らしをしよう、と。そう、彼女に相談したのです」
やがて手に入れる莫大な富と揺るぎない名声を捨て、彼が目指したものは恐らく麻衣の夫のような暮らし。
「彼女は言いました。絶対に諦めるな、と。夢は掴もうとする者だけが手にすることができるんだ、と」
その熱弁ぶりは容易に想像することが出来た。
「そしてその日、私は繋がりを求めました。孤独が怖かったのです」
父に逝かれ、母は寝込み、ファンはついて来ない。芸能人にとって耐えがたい孤独。
けれど。
「関係を持ったのは、それ一度きりです」
けれど、その行為がまた一人の男を孤独に追い込んだという事実に、彼は気付いているのだろうか。いや、気付いているはずが無い。だから言ってやりたかった。『麻衣は、お前の子供と一緒に死んだんだ』と。
「本当に、すみませんでした」
私はもう一度少女たちを見つめた。眩しい笑顔が、そこにはあった。
私は許せないけれど。
麻衣、お前が悔やむことはない。
お前は一つの人生を守ったのだから。
その夜、私は妻に全てを話した。彼女は泣いてしまった。
「私は気付いてやるべきだったんだ。あの朝、麻衣は思いつめた顔をしていたんだ」
ウイスキーを一気に飲み干す。からり、と氷が静寂を溶かした。
「あなたは悪くない。もし私が麻衣さんの立場だったら、同じ事をしていたかもしれない」
「どうして?」
もう鎮火する見込みの無い我が家に飛び込んだ麻衣。それは事実、死を選んだということ。
「もう気付いているんでしょう?彼女が守ったものは、紛れも無いあなたよ」
からり、ともう一度氷が囁いた。
「言い換えれば、あなたの信頼を彼女は守ったのよ」
不倫、妊娠の事実を知った私たちは、その後一体どんな暮らしをしていったのだろう。
他人の子供を私は生ませていただろうか、麻衣は、私はどれだけの悲しみに溢れていただろう。最悪、離婚というケースも考えられる。
「彼女の性格からすれば、絶対に離婚を選んだはず。そうしたらあなたのそれからの人生は?」
そう、彼女が残したものは私の未来。
視界が滲んだ。どうしてだろう、今ごろになって溢れてくる涙。当時より悲しみは薄れたはずなのに。
「くそっ、どうして」
震える私の肩を、和美が抱いた。
「私の未来が、麻衣を殺したのか・・」
「それを選んだのは麻衣さん自身よ。だからあなたが自分を責める必要はないの。彼女の決断が、あなたの未来を生かしたの。私との未来を」
肩を抱く力が一層強くなる。
「和美、ごめんな。麻衣のことばかり気に掛けて」
「いいの、私が好きになった人の中には既に麻衣さんが生きていたんだから。過去を清算する必要は無い、私とあなたと麻衣さんと。そんな未来を私は望んできたのだから」
一度流れた涙はもう止まらなかった。和美の胸の中で泣き明かした。
涙は、流すものではない。
それは流れるものなんだ、と知った。
明日、もう一度麻衣の墓参りに行こう。
家族を連れて。
麻衣、お前が守った私の未来はこんなにも幸せに満ちているよ。