私の存在証明A-2
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「あっおかえり、奏太君」
帰宅し、玄関の扉に触れる前に勝手に開く。
現れたのは千夏さんだった。
「ただいま」
「今から夕飯の買い物に行くんだけど、奏太君は今日何食べたい?あっ、それより一緒に行こっか買い物!」
「いや、行かない」
「あら残念、じゃあまたの機会にねっ」
慌ただしくも出掛けていく背中を見送る。
あいつとは正反対で、毎日笑顔を絶やさない人だ。
くるくると表情を変えて感情を伝える千夏さん。
親父から初めて千夏さんを紹介されたのは半年前。
はじめまして、と笑顔で差し出された手を俺は握ることが出来なかった。
はっきりとした顔立ち、笑う度に現れるえくぼ、目下の泣き黒子。それらは、幼い頃に死んだ母親の面影があった。
それに気がついた時、俺は無性に悲しくなった。
親父は未だに母親への柵に囚われたまま、いつまでも亡き人の影を追っている。それが悲しかった。
「奏太君、シュークリーム食べない?」
「俺あんま甘いやつ食べ……あーいや、やっぱ貰う。ありがと」
夕食後の一時。俺が甘い物を好まないと知っている親父は、シュークリームを口いっぱいに頬張ったまま目を白黒させていた。
勿論、そんな親父は放置して俺は自室に戻ることを理由に、家族の団欒を抜け出した。
二階に上り、廊下を軋ませてあいつの部屋のドアを叩く。このドアに触れるのは、引っ越した日以降久々だ。
「今いいか?」
少し緊張するもそれは一瞬の事で、すぐにあいつの返事と共にドアが開かれた。
「シュークリーム好きか?」
入室して早々に、シュークリームを眼前に差し出す。暫くは呆気にとられた様子だったが、すぐに答える。
「……嫌いじゃない」
「じゃあ、やる」
「ありがと」
「感想聞かせろよ、後で俺が聞かれたら困るし」
シュークリームを渡し、絨毯の上に座る。そのまま居座る俺に苦笑を一瞬だけ見せて、すぐにシュークリームを食べ始めた。
「美味いか?」
「あ、うん、美味しい」
うっすらと微笑んだ。どうやら、今のこいつは少し上機嫌のようだ。
あの日以降、俺はこいつの今にも泣き出しそうな表情も、顔を歪めて無理に作られた笑顔も見ていない。
家でも比較的感情は出さないが、学校では輪をかけて無表情だ。
気がつけばこいつを目で追うのが習慣になる頃には、あの時が異常なんだとわかった。
こいつはもともと感情を表に出さない人間なのだろう。