Night before picnic-1
今から二十年前、今と同じで無責任な大人たちは、将来の夢というクソみたいな作文をみんな揃って書かせたくせに、結局今になって、自分たちは予想外に負け犬の人生を歩んでいる人がたくさんいて。自己破産とかして、中には首を吊ったりして。生き残っている人たちだって、酒に酔って過去の栄光にしがみつく。惨めな大人たちを見る、新時代の大人である僕は、だからと言って、特に何も感じない。
現代の僕は昔と同じで無責任な大人であるがゆえに、結構若い人たちを諭したりなんかするようなことを言ったりするけれど、基本的に自分は割りと駄目な奴だということをすっかり自覚しているので、そんなに偉そうにしているつもりはない。
「日曜日になったら、お弁当を作るからあんたは、せめて早く起きてね。そして、なるべく早く着替えて、スムーズに準備をして、そして午前九時には車のキーを回して、エンジンをふかすの。ピクニック・デイ」
なんて、文面は違えど、そんな内容のことを眠る前に妻は僕に言う。僕の隣には息子がいびきをかいて眠っていて、妻の隣では娘がすうすうと静かな寝息。
「分かった。了解」といいながら、僕は余り自信がない。だって、明日は休みだぜ。ゆっくり眠りたい。でも、きっと僕のスウィート・ベイビー共はピクニックを楽しみにしているだろう。ピクニックがというものがどういう行為を指すのかを知らなくても、彼らはちゃんとそれがスペシャルに楽しいことだということを知っている。この間、冗談で「ちょっと、仕事に行って金を稼いできてくれよ」と息子に言うと、息子はニヤニヤしながらちゃんと嫌だといったのだ。そう。子供はちゃんと仕事がクソだって事を知っている。
子供の頃は、大人になったら仕事が嫌じゃなくなると信じていたけど、それは完全な勘違いだった。クソだ。あんなもん。
「そういえばさ、ふと思ったんだけど、最近キスしてないな」
「そりゃそうよ。だって、私とアンタは気が遠くなるくらいに長い時間毎日毎日毎日毎日一緒に居るんだから」
「確かに。何も感じないな。もう、スキとかキライとかじゃないもんな。俺たち」
「そうそう」
「でもさ、それってちょっとつまんなくねえ?」
「つまんない」
「我慢しろよ」
「あんたが先に言ったんだよ」
「そうだな。まあ、いいや。おやすみ」
「うん」
そうして毎日毎日毎日毎日一緒にいる僕らは、その毎日をまた今日も重ねる。そのようにして眠り、明日になれば、気の遠くなるくらいの時間が、また少し増える。
好きでも嫌いでもないとかなんとか。愉快にそんな会話をする時間が、僕は割りと好きだったりする。そういう時、あの名言を思い出す。ここでは書かないけれど。