Night before picnic-2
眠る前になると、たまに、一人になることを考える。例えば不幸な事故なんかで、家族みんなを失ってしまった日のことを。そうしたら、僕は生きていけるんだろうか。生きていけないな。
そんな事を考えてしまった夜は、妻の背中に抱きついて眠る。妻のネグリジェの裾を、きゅっとつまんで。
人生を生き抜いて、人知れず死ぬ老婆の孤独のカケラを、そんなとき僕はイマジネーションの孤独の中でそっと拾い上げる。
僕は二十歳くらいの気分で、もう二十七歳になる。後ろから見れば先は長いが、後ろを振り返るとなんだか短い。そうしている内、先がどんどん短くなって、後ろがどんどん長くなって、その後ろがああ、なんて短いのだろうと思って、そんな気分で先を見たとき、あの頃はあんなにも開けていた未来がやけに限られたものに見える。
だから、二十年前の大人たちが、僕らに言ったことも、今ならば僕は許せる気がするんだ。夢を見ることを先行して、現実的なことなんて何一つ教えなかった気の毒な大人たちの事を。そうすることでしか、自己の先の狭さに憂いを隠せなかった彼らは上手く生きていけなかったんだろう。
考え事に疲れた僕は、隣で眠る妻を抱き寄せ、唇にそっと唇を重ねる。
そして、ちゃんと確認する。失ってよいものと、失ってはいけないもの。生きていくために必要なものと、そうでないもの。
そして、ちゃんと僕はそれを感じられるようにする。平凡な毎日に紛れ込み、時折姿を隠してしまうから。僕はそのようにして、ちゃんとそれを確認する。それがそこにちゃんとあることを。だから、僕はもう、本質的には何も求めなくてもいいということを。