電波天使と毒舌巫女の不可思議事件簿 ―争い編―-8
最上階は、今までとは雰囲気がまるで違った。
まるで、玩具箱の中のような。カラフルで、現実味のない空間。
この幻影を壊さなければならないことに罪悪感を覚えるが、それでも真琴は口を開く。
「迎えに来たよ、ゆうとくん」
声は空間に反響し、返事は返らない。
「お父さんとお母さんが心配してる」
僅かな戸惑いを覚え、それでも続けた。
「“家出は終わり”だよ。お姉さんはお父さんとお母さんに頼まれてきたんだ」
影が動いた。真琴は影を追う。
八歳くらいの少年が、身を隠すように、玩具の影に隠れ、身体を竦ませている。
その傍らに、優しそうな初老の男性が寄り添っていた。男性は半透明で弱々しかったが、それでも少年を庇うように一緒にしゃがんで真琴を見ていた。
「園長先生かな?」
声をかけるが、少年は返事をしない。酷く怯えていた。
「ごめんね、いきなり過ぎたね。今すぐじゃなくていいんだ。ゆうとくんが帰りたくないなら、無理に連れていったりしないから」
しかし少年は怯えたまま応えない。そんなに怖い顔をしているのかと少し傷ついて、それからようやく少年は違う方を見ていることに気付いた。
「どうし」
どうしたのと訊ねる前に、真琴も気付いた。
美由貴が少年を、まるで薬物を乱用した精神異常者のように目を見開きながら一心不乱に睨みつけていたのであった。あれは怖がらない方がおかしい。まばたきが異常に少ないし。
「美由貴……悪いけどちょっと出てってくれない?」
「…………」
「えっと、あのさ、ちょっと眼の大きさがおかしくなってるから。ね、アタシに任せ」
「ウゥ〜〜◎」
ギチギチと髪の毛を握り締め、毟り始めた。怖い。真琴でも物凄く怖い。
「えっと、ごめん。本当に大丈」
「美由貴、子供大っ嫌い!!」
「大丈夫じゃないねあーじゃあここにいなくていいようん」
神経症気味に髪の毛を弄び、ジロリと少年を睨みつけた。かと思ったら、いきなり美由貴の姿がかき消える。
「っ!?」
「あー、ごめんね。あのヒトのスイッチアタシにもわかんなくてさ。気にしないで」
何がキッカケなのか未だに分からない。まあ今は放っとこう。
「もう大丈夫かな?」
「…………はい」
小さくだが、しかし返事は返ってきた。一歩前進。
「あのね、お父さんもお母さんも、君が家出したって思ってないんだ」
「…………」
「誘拐、攫われたんじゃないかって思ってる。このビルに出る、幽霊に」
「ちが」
「園長先生がね、悪い人なんじゃないかって」
「……違います」
「うん。知ってる」
「………!」
「お父さん、お母さん、学校の話。みんな知ってるよ」
少年は、ポロポロと涙を零す。園長先生はそれを拭き取ろうとするが、実体がないから。触れられない。
――最初に会った時、仲の良さそうな夫婦だと思ったのは、偽りだった。
天使曰わく、父親は母親に暴力を日々行い、母親は口汚く父親を罵っているらしい。
両親の争いは、もう喧嘩と呼べるレベルじゃないそうだ。
しかし表に出ると、途端に仲のよい夫婦を演じる。良き父親、良き母親だと周りからの評価。
更に母親は、お受験に失敗した少年に厳しく当たった。学校で一番になれなかったらなじられる。学校では成績争い、家庭では両親が争い、しかし周りはどちらも問題にしようとしない。
少年は、唯一優しくしてくれた園長先生に救いを求めた。しかし、園長先生は少年が卒園した直後に、死んだ。
少年の幼い絶望が、極大まで膨れた時。
少年は〔遺志〕を見つけた。優しい園長先生の、〔遺志〕を。
少年は求めた。誰も争わない、誰も傷つかない場所を。
これが、この〔現象〕の真実だった。