地図にない景色-1
その奇妙な、余りにも奇妙な男と出会ったのは、高校二年生に上がってしばらく経った春先のことだったと思う。
憧れの高校生活も、なんてことはない中学校の延長なんだと、一年ばかりの生活を通して悟ったあたしはなんとなく、ぐだぐだ、だらだら、という擬音語がぴったりと当て嵌まるような日々を送っていた。
朝起きて、シャワーを浴び、朝食を食べて学校へ向かい、友達と挨拶をして授業を受け、また友達との会話。
昼休みには屋上や体育館で遊びに興じ、怠くて眠いいだけの午後の授業は、基本聞き流すだけか、自主休講もといサボタージュ。
放課後は友達との付き合い。街へ繰り出しショッピングをしたり、カラオケをしたり、ものを食べたり…、それも最近では飽きてきたのでほとんど断っていたりする。
家に帰ってからはシンプルなもので、テレビを見て、夕飯を食べ、お風呂に入ったらあとは寝るだけ、宿題はやらない。
毎日がそんなことの繰り返しで、一年生の時から変わったことといえば極僅か。先生たちが受験を意識してか、少しうるさくなったことぐらいだ。
それさえも、「まだ一年以上もあるじゃないか」と煩わしく思うぐらいの変化だ。
自分でもなんてつまらない人生だろうとよく思う。もし、あたしを題材にした映画があるとするならば、これほど盛り上がりに欠けるストーリーたらない。何たって同じ日常が繰り返し映し出されるだけで、事件らしい事件、このお年頃にはあって当然のピュアな恋愛や身を焦がすようなラブシーンすらないのだ。これでは「金を返せ」と罵られても、弁明の仕様が無い。
あたし自身、観客の一人だったとしたならば、きっと同じことを言うと思う。そんな、代わり映えのしない退屈な毎日。
こんな言い方をすると、なんだか言い訳がましく聞こえるかもしれないけど、だからなんだと思う。
あたしがあんなことを始めてしまったのは…。
「万引きっ!?」
「ちょっ、声でかいよ!」「あっ…ごめん」
人通りの多い、夕方の街角。信号待ちのサラリーマンが怪訝そうな顔を向けているのに気付いて、あたし―佐伯聖(さえきあきら)は声を潜めて謝った。
そんな外野の視線を散らしてから、隣を歩く恵美が少し怒った口調で言う。
「気をつけてよね。仕事がやりにくくなっちゃうじゃないか」
「…ごめん」
「まっ、この程度なら大丈夫だろうけどね」
やれやれという風に首を振る、恵美。それに同調するように、彼女自慢の長くて綺麗な黒髪が揺れた。
高坂恵美(こうさかえみ)はあの学校における一番の友人だった。
小顔のスレンダーな体型。やや吊り気味の目が彼女の気の強さをよく表していると思う。
あたしもどちらかといえば、気の強い方なので彼女とは好んで行動を供にすることが多かった。
今日も今日とて、例の如く、「街に用があるから付き合ってくれ」という彼女の誘いに、ちょうど退屈の虫を持て余していたあたしは、二つ返事で乗っかったのだった。
その用というのがまさか、たった今、恵美から聞かされた『万引き』だなんて思いもよらずに…。
しかし、意外だった。
まさか、あの恵美がそんなことをしていたなんて思いもよらなかった。
彼女は今時珍しい芯の強い心の持ち主で、そんな小さな悪さをするような娘じゃないと思っていたから。そのことを素直に口にしたら、恵美も、「あたしもそう思ってたんだけどね…」と小さく笑った。
「なら、どうして…?」
「…自分を変えたかったんだよ」
と、恵美は言った。
「毎日毎日、同じことの繰り返しで、正直、うんざりしてたから。少し、変わったことをしたかったんだ」そう口にしている間、彼女はずっと左手を見ていた。左手の薬指。去年のクリスマスまで、確かに輝きを放っていたものはもうなく、その部分だけが何故か寒そうにしているようにあたしには見えた。