淫蕩淫魔ト呪持-12
「キルシェ、手は出すな」
ズッカがキルシェに声をかける。
「こいつは俺の獲物だ」
そうは言っても、彼と悪魔の差もまた歴然としていた。
悪魔はくすくすと不気味に笑う。
「脅威は早いうちに潰しておこうと思っていたんだけど、どうやらその必要はなさそうだ」
「ほざけ!」
ズッカが地を蹴り、鉄棒を振った。
常人からすれば物凄い速さである。しかし悪魔は彼の攻撃をやはりあっさりと避ける。
「君がどうして"呪持ち"っていうのか、仲間に聞いたよ」
悪魔は言いながら、ズッカの背後を取った。
ぴたり、と彼の背中に指を突きつける。
「僕の呪をプレゼントにあげよう」
「ッ!」
悪魔が短い呪文を唱えると、灰色の煙が彼の身体を覆い始めた。
「下級獣魔に変化だ」
「ズッカ!」
キルシェは彼の名を呼ぶと、樹から飛び降り、先程取り出した紙を彼のもとへ投げた。
たちまち紙は呪の煙を吸い取り、半ば獣魔になりかけていたズッカの身体が元に戻っていく。
しかし二度の肉体の変化に、ズッカは辛そうに息を吐いた。
「……ルール違反だ。手を出すなって彼も言ったじゃないか」
いつの間にかキルシェの傍らに立っていた悪魔がむくれて言った。
「別に彼の加勢をしたわけじゃない。あたしのためにやったことよ」
努めて冷静を保ちながらキルシェが言う。
「どういうこと?」
「あたしは淫魔。あたしが生きていくためにはズッカが必要なの。分かるでしょ?」
彼女の言葉にふうんと悪魔は鼻を鳴らした。
そしてにっこりと微笑むと、悪魔はキルシェに向かって息を吹きかける。
「それじゃ、君に最適な呪を彼にかけてあげよう」
言って、悪魔はズッカに向き直った。
ようやく身体が元に戻り、ズッカは再び鉄棒を構えていた。
一方で、キルシェは悪魔の息で身体を固められていた。
何とか声は出せるが、身体の方はびくともしない。こうなってしまっては、二人の闘いを見ている他はない。
「はあッ……はあッ……今回ばかりはあいつのお節介に感謝だな」
「彼女も奇特だね。彼女ほどの淫魔なら、こんなひとりの人間に固執することなんてないだろうに。それほど君の身体がいいのかな?」
悪魔はそう言うと、その長い舌で唇を舐めた。
「そうしたら、君にも彼女にもうってつけの呪をかけてあげるよ」
その瞳に凶暴な光を宿し、悪魔は笑う。
「だけど、君にはちょっと辛いかもね」
言うと同時に悪魔が跳んだ。
ズッカも鉄棒を振り、悪魔への攻撃を仕掛ける。
ズッカの振るった棒の先が微かに悪魔の胸元を掠めた。
「!」
まさか攻撃を食らうと思っていなかったのか、悪魔は驚いたようにズッカのもとから飛び退いた。
胸元の傷を確認し、悪魔がゆっくりとその表情を変える。
優しげな笑みは、どす黒く歪んだ笑みへ。
「やれやれ、少し甘く見すぎたのかな」
悪魔の言葉に、今度はズッカが笑みを浮かべた。
「来い、悪魔」
彼の言葉が掛け声となり、悪魔が高く跳躍する。
くるりと宙で一回転をし、ズッカの背後に回った。
同時に、ズッカは尖った鉄棒の先で自身の背後に突きを繰り出す。
左右にそれを避けながら、一瞬だけではあるが悪魔が焦ったような表情を見せた。
「ッ」
しかし本当に焦っているのはズッカの方だ。
今まで闘ってきた悪魔たちとはまるで格が違う。
苦戦して倒した上級悪魔までもが、赤子のようだ。
このままでは負ける――
そんな焦りは、得物の切先や彼の判断を鈍らせる。
「おっと」
突然、悪魔が足を滑らせた。
ズッカの攻撃を避けるべく後ろに飛び退いたはいいものの、着地したその瞬間に右足が、滑る木の葉にとらわれたのだ。
仰向けになって倒れる悪魔に、すかさずズッカが襲い掛かる。
悪魔の腹に膝を打ち入れ、彼は鉄棒の先を悪魔の額に突きつけた。
そして、にやりと口の端を吊り上げた。
これが、悪魔の放った罠だとも知らずに。