小説・二十歳の日記-13
「やっぱりか!」激しい声に、僕、体が硬直した。
低いチコの声は聞こえなかったけど、断片的に相手の声は聞こえてきた。耳を塞ぎたくなる話だった。興行主との約束事を破ったとか、その為に、今年からの興業に支障をきたす、とか。
チコがそのことを話してくれたのは、三日の夜だった。その日は、一人になりたいというチコの希望通りに、アパートに戻ったんだ。おふくろの置き手紙があった。
辛かったょ、チコの話は。どうしようもないやりきれなさ、憤り、そんなものが渦巻いた。全てがそうではないらしいけれど、興行主の力というものは凄いものらしい。どんな無理難題も聞かされるらしい。といって、事務所としても要求全てを飲むわけにはいかない。
その要求で一番多いのが、一夜妻らしい。
といって、これから売り出す歌手にそんなことは、させられない。そこで、代役が必要らしい。それが、チコの役回りだった。
ショックだった。天地がひっくり返る、そんな感じだった。何も言えなかった。だけど、許せなかった。興行主も、事務所も、そしてチコも。どうして愛情もないのに・・・それが仕事だなんて、ひどすぎる。まるで、売春婦じゃないか・・・。
そうしないと、若い歌手が可哀相だという。じゃ、自分はどうなんだ。可哀相じゃないのか。チコのデビュー当時も、そうやって助けられたというのかい?でも、どうしてチコなんだい・・・。嫌だょ、そんなの。チコだって嫌だったんだろう、だから逃げ出したんだ。
「やめちゃえ、そんなことなら。」勿論、言ったよ。だけど、悲しそうな目で言うんだ。
「歌が好きなの。どんな形であれ、歌っていたいの。」
「僕はどうなるんだ、僕は。チコが大好きな僕は。」
暫く、困った顔をしていたょ、チコは。一言、
「ごめんね。」
頭の中が、グチャグチャになった。僕の大好きなチコが、他の誰かに・・・。気が狂いそうだった。涙が、又、ボロボロ流れてきた。悲しかった、腹が立った。興行主に、事務所に、チコに、そして自分にも。何も出来ない自分に腹が立った。
チコが僕を抱いてくれた。しっかりと抱きしめて、何回も
「ごめんね。」って、言った。
僕はたまらなくなって、チコを突き飛ばしてしまった。
「汚い!」
「不潔だ!」
そんな言葉を口走ったような気がする。今思えば、悪いことをしたと思うょ。チコの立場も考えずに。
いや、納得したわけじゃない。だけど、僕がどうこう言えることじゃなかった。
今日、チコのアパートに行ってみた。居なかった・・・。帰ろうとしたら、管理人のおばさんに呼び止められて、手紙をもらった。
「ごめんね。ホントにごめんね。あなたの純真な気持ちに触れられて、嬉しかった。どこかで私を見かけたら、又声をかけてね。お友達として、又ラーメンを食ようね。 チコ 」
辛いよ、とっても。好きだ、すごく好きだ。『愛』がどんなものか、まだわからない。
ひょっとして、許すことが愛情なのかもしれない。でも、今の僕には無理だ。
もっと大人になったら、許せることなのかもしれない・・・
おふくろの手紙の中に、あった。
―人間というものは、いくつかの暗いトンネルをくぐり抜けて、大人になっていくのです。短いトンネルもあります。明るいトンネルもあります。でも、暗く長いトンネルもあります。
どうしても一人では、そのトンネルを脱け出られないと思ったら、帰ってきなさい。
お母さんの所に帰ってきなさい。みんな、待っているからね。―
疲れた、とにかく疲れた。
初めてだね、こんなに長く君に語ったのは。
今は、唯眠りたい。何もかも忘れて・・・。
忘れて・・・?又、時が癒してくれるだろうか・・・。
少し前に話したね。忘れるまで、どうしたらいい?・・・。又、言いそうだ。
今度は、全身火傷だ。心までも・・・・・、帰ろうかな。
終り