飃の啼く…第27章-2
「アイヌの言葉だよ。私に名前を与えてくれた、偉大な人々の言葉だ」
「へぇ…」
朝の気配に輝き始める水面は、幽かな光を帯び始めた。その様子を見て、氷雨が呟く。
「ここに残る者たちに、歌を残していくんですね」
それは、長い長い歌の、ほんの一部の短い一説だったが、エエンレラの切なる願いでもあった。残された者たちが、つまらぬものに成り下がらないように…美しい、カムイたちの地を、ずっと守ってゆけるように。
エエンレラは、雪の照り返しにそうするように、眩しげに細めた目で故郷を見た。いくらそうして眺めたところで、意味が無いのはわかっている。いくら眺めたところで心に残る景色に違いが生じるわけでもない。故郷とは、遠く離れた地に在って、時に記憶よりも鮮烈に思い出すことの出来るものなのだから。
雄大な湿原に背を向ける。小高い丘に集まった、坎軍 (かんぐん)の戦士達。皆一同に、張り詰めた表情で彼らの将を見た。
「さて……行くか、皆の者」
穏やかな彼の声は、張り上げなくても郡の隅々まで届いた。それは、悠然と湿原を渡ってゆく穏やかな風に似ていた。
―これからの狐たちよ、決して悪い心を持ちなさるな…
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「右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱
馬上ゆたかな 美少年〜、ってか」
集った離軍(りぐん)の兵達を眼下に、ウラニシが口ずさんだ。傍らの風巻が呆れて言う。
「美少年って歳か?」
無愛想な顔を、それでもウラニシは面白そうに見た。
「いいのか?青嵐のお傍に就いてなくて」
風巻は渋い顔を益々渋くして、機嫌悪そうに言った。
「どうせ散るなら、同郷の奴らと一緒に散りたいんだ」
「ま、分かってたけどな。お前は変に律儀だからな」
ウラニシは嬉しそうに笑って言った。
「分かってるなら聞くな!」
風巻が噛み付いて、ぷいとよそを向いた。
「親父さんには会ってきたか?」
「…ああ」
「何年ぶりになる?少しは話をしたのか?」
「うるさいな!したよ!」
都市に出、または青嵐につかえて、故郷から足の遠のいた狗族は沢山居た。風巻もその一人で、青嵐会に入ることを親からは反対されていた。今度の戦では、青嵐はそういうものたちが、青嵐軍ではなく郷里の軍に加わるのを止めず、むしろ奨励した。青嵐に忠実な(ウラニシには心酔している、と言われる)風巻が、まさか帰ってくるとは思わなかっただけに。いじってみたくて仕方ないのだ。