細糸のような愛よりも-9
第三話 奴の虜になっていた
夏が終わり、秋が来て、そうして冬がやってくる。
陸上部には辛い時期だ。
吐く息はまだ白くはないが、上下ジャージにならないと外に出られない。
俺はジャージを羽織り、トラックの前でぼんやりしながら柔軟をしていた。
「久しぶり」
後ろからかけられた、耳慣れた声。
「……久しぶり」
俺がそう返しながら振り向くと、綿貫は笑みを浮かべていた。
そして、そんな綿貫はまるで部活などするつもりがないらしい。
ローファーに薄手のコート、マフラーを巻いている。手はコートのポケットの中だ。
「最後に部活に出たのは?」
「んー、そうだな。九月の終わりか?」
適当に言って、綿貫は前屈している俺の傍らに屈み込む。
「九月の頭だ」
「ま、どうでもいいさ。どうせあと半年は顔を出さないつもりだしな」
「……何しに来たんだよ」
俺は素っ気なく言って、綿貫の身体を押しやった。
すると綿貫は、喉の奥でくくっと笑い、声を潜めて言った。
「何拗ねてんだよ。喜べ、久々に都合がついた」
「あ、そう」
俺はやはり短く素っ気なく答える。
心の中を見透かされないように、無表情無感情を努めて。
「今日、十九時に俺のアパートな」
そしてそれだけ言うと、綿貫は立ち上がり、さっさとグラウンドを去ってしまった。
俺は奴の後姿が完全に見えなくなるまで前屈を続け――そうして奴の姿が見えなくなったところで大きく息を吐く。
胸に手をやった。
鼓動は、まるで競技直前のように速く鳴る。
ついさっきまで寒くて凍えていた身体は、ジャージがいらないほど熱く火照っていた。
あの日以来――俺は綿貫の虜となっていた。
奴が与えてくれる快楽の味を知ってしまった俺は、毛利とのセックスでは完全に物足りなくなっていた。
一週間に一度か二度、綿貫の部屋で身体を重ねることが習慣となっているのだが、その分毛利と会っている時間は少なくなっていた。
もっとも、最近では綿貫も忙しいらしい。
時間の取れない日が続き、俺の身体は欲求不満気味になっていた。
しかし欲求不満の理由は、それだけではなかった。
『麻木』
先週のことだ。いつもなら奴のアパートへ行く筈だった。
しかし、前日受信したメールは「ごめん」。
綿貫はその理由を話したりはしないし、俺だって聞いたりはしない。
そんなドライな関係だからこそ、俺達はこの関係を続けていられるような気がした。
『麻木』
だが、放課後のグラウンド横の水飲み場、俺は背後でそんな綿貫の声を聞いた。
後ろは向かず、紐を結び直すふりをしながら聞き耳を立てた。
『………?』
『………!』
『………』
綿貫と麻木である。
声を潜めて、何やら言い争っている様子だった。
しかし何を言っているかは聞こえない。
『………』
やがて辺りが静かになり、俺がそっと後ろを振り向くと、そこにはもう二人の姿はなかった。
何を話していたのだろうか。
そして、どこへ行ったのか。
俺は何となく、二人が付き合っているのだろうということを感じた。
そしてきっと、二人は綿貫のアパートへ向かったのだろうということも。