月夜×殺人犯×二人きり-3
「どうしたらいいんだ……」
母親を一日でも長生きさせる為には治療費がいる。けれども、それを捻出しようにも職場まで失ってしまった。
今日一日で、男には全ての景色が絶望に染まったように見えた。
行き先もなく歩を進める。痩せた背中が雑踏に消えていく。
「いってらっしゃい、アナタ。気をつけてね」
「あぁ一週間もすれば帰ってくるよ。あの子にも宜しくな」
不意に聞こえた若夫婦の声で男は現実に戻った。
気がつけば見慣れぬ街並み。
呆然と立ち竦む男を、通行人達は怪訝な顔で見やる。
街案内の看板を見つけ、職場を去った後、無意識に自宅とは反対方向に向かっていたのだと理解した。
自宅からそう離れてはいないが、実際この街を通ったのは片手で足りる程である。
この一帯は裕福な層の住む新興住宅街で、男には縁のない地域だったからだ。
豪華な建造物が立ち並ぶ。
公園からは楽しそうな子供達の笑い声。
男の見窄らしい格好が浮く程に、人々は上質な着衣で着飾っている。
先程見掛けた若夫婦だって、幸せに満ちた表情をしていた。
男は思う。
自分に金があれば、きっと母親も笑っていられる。
自分に金があれば、こんな惨めな思いをしなくてすむのに。
「……金が有ればいいんだ」
男のソレは衝動に似ていたのかもしれない。
もうなりふり構っている場合ではない。失う物は何も無いのだと拳を堅く握る。
先程、若夫婦が会話を交わしていた家に歩を進める。住宅街の中、一際目を引く家の外観は彼らが優に富を持つ事を示していた。
震える指に精一杯の力を込めながら男はインターフォンを押す。
機械越しに先程の女の声が聞こえ、男は口を開いた。
「……宅配便です」
もう戻れないのだ、男は改めて自分に言い聞かせた。
「はーい」とドアを開けると同時に、女は男を見て不思議そうな表情をした。男の風体は宅配員とは程遠い。
「死にたくなかったら……」
ヒュッと音がする。女が焦って息を吸い込んだ音だった。
「金を出して下さい」
上着のポケットの中に手を入れ、拳銃の形を模する。それは男が一度病院の待合室のテレビで見た手口である。