和州記 -宵二揺ルル紫花--7
その晩二人は、深縹の一紺の家で眠った。
隙間風の吹くあばら屋でも、くっ付いて眠れば暖かい。
涙に濡れ微かに目元を腫らした一紺は、床の中で竜胆と手を繋いでいた。
手だけではない。
心も身体も繋がっていると言う安心感が、二人の心を満たしていた。
そして、そんな夜がまだ明けぬ頃。
「一紺、起きろ」
「ん、朝か…?」
目を擦る一紺が辺りを見回す。
薄っすらと白みかけた空が家の隙間から見えるが、辺りはまだ暗いようだった。
寝ぼけ眼の一紺を、竜胆は促した。
「行くぞ」
「行くて…どこに?」
手を引っ張られ、一紺は言われるがまま連れて行かれるがままに縹山を登る。
そうして六合目辺りにやってきた二人は、息を切らしながら眼前に迫るその風景に思わず見入っていた。
「やっぱり――」
竜胆が荒い息を吐きながら、感嘆したように言った。
「山を越える時、晴れていたらきっと綺麗だろうと思っていたんだ」
朝日が昇った。
二人の眼前に迫る雲海が黄金に輝く。
そうしてそこから顔を出した朝日が、二人の面を明るく照らした。
夕暮れのそれとはまた違う、爽やかな橙色が眩しい。
朝露に濡れる草木が朝日を受けてきらめいていた。
「凄い…なあ、あれが海って言うんだろう?」
山と山の狭間、遠くに見える青い海を見て、竜胆がいつになくはしゃいでいた。
一紺は呆然とその風景を見つめる。
悩んでいたことが馬鹿らしくなるような、心が洗われる美しさだった。
「いつか、行ってみたい」
竜胆が独りごちるように言った。
「あの海を、間近で見てみたいな」
「…せやな」
一紺は惚けたように景色を見つめながら、そう呟いていた。
そして、その昼のこと。
「一紺」
縹の街で飯を済ませた一紺を、紅梅が呼んだ。
彼女は乱れた髪を掻き上げながら、茶と茶菓子が用意してある茶屋に二人を招く。
「言っておきたいことがあってさ」
茶を啜る紅梅に、一紺は首を傾げた。
「昔、蘇芳から聞いたんだ」
「?」
「お前の名前のことさ」
名前のこと?と、更に一紺は首を傾げる。
竜胆は興味津々と言った様子で、紅梅の話を聞いていた。
「蘇芳ね、縹山の八合目から眺める宵の空が好きだったんだよ。橙から暗くなっていく空が、雲のない日はそりゃあ綺麗な紺一色になるんだ」
今朝二人で見た六合目辺りの景色は素晴らしいものだったが、八合目ともなれば視界に入るのは空ばかりだろう。
下界を眼下に、広がる空と雲の海。一体、どれほど美しいのだろうか。
山を越える時には八合目と言えど、天気も良くなく、景色など殆ど見えなかった。
竜胆は改めて、彼女の言う八合目から見る宵の空を見てみたいと思った。
紅梅はまっすぐに一紺の目を見て言う。