夏の始まり、夏の終わり(中編)-1
次に男が立ち寄ることには、店の前の桜は満開になっていた。
たった一本の桜だが、空の青さと静かな空気の中でその淡い色は、優しく景色を彩っている。
「東京に来ることは、ありますか?」
男は私に訪ねた。
「ええ…まあ…」
私は言葉を濁した。
本当は、そんなことはあるわけがない。
大学もすぐに中退し、その後は友人と呼べる存在もいなかった。
それどころか、過去を捨てたい私にとっては…二度と、訪れたくない土地だった。
「何かのついでで来たら…食事でもしませんか?」
男は、携帯電話の番号のメモを私に手渡した。
相変わらずタクシーを待たせていたので、男はそのまま仕事へ向かった。
私は…東京に行くことを決めた。
二度と訪れたくない…そう思ったばかりだったのに。
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新幹線は東京駅に着いた。
少し汗ばむくらいの日差し…駅に降り立つと、私は苦しくなった。
大学生となり、希望に溢れて降り立ったこの駅も今の私には、淀んだ空気しか感じとれなかった。
しかし、あの男がいる街だと思うと…来ずにはいられなかったのだ。
私は、男に逢いたかった。
すぐに服を買い、私は着替えた。
男の隣に立つのに…ふさわしくなりたかった。
私は、ここまで来てなにをしてるのだろう。
男に逢いたいと…打つ脈が速くなる自分を、もう一人の冷めた自分がなだめているようだった。