夏の始まり、夏の終わり(中編)-5
「そろそろ…出ましょうか」
食事を終え、男は私にそう言った。
「はい」
男は相変わらず、優しい表情で私と前を歩く。
「今夜は、どこに泊まるんですか?」
「ああ、ホテルを取ったんです」
「なら、少し飲んで帰りませんか?」
今の卑屈な私には、それは無理なことだった。
男にとって、私は非現実の世界で少し関わっただけの…当たり障りのない、人間なのだから。
私は、結局…こんな人間なのだ。
「いえ…」
そう私が言いかけた時だった。
「うわ、気持ちいいなあ」
男は急に声色を変えた。
少しだけ湿気を含んだ、それでも心地よい風が…ほんの一瞬だけ私たちの体を掠めたのだ。
「あの町の風に、少しだけ似ていません?」
男は、新しいものを見つけたと喜ぶ子どものように…誇らしげに私の顔を見る。
「ほんとだ」
私は、そんな男の…
一瞬見せた…
その時だけは、この街の空気を脱ぎ捨てたかのような…
そんな笑顔を、一生忘れることは出来ないだろう。
男の顔は…あまりにも無垢だった。