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家族1
【家族 その他小説】

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シフォンケーキの幸せを-3

父は仕事をしっかりとこなす人だったが家族を大事にはしなかった。少なくとも、僕から見た父はそうだ。投げ掛けられる言葉は成績や勉強のことばかりで、遊んでもらった記憶もない。
ちゃんと養ってもらっていたのだから文句は言えないが、僕らに接する態度には愛情ではなく「義務感」しか感じることができなかった。
 事実、父には他所に女がいた。
 寒い冬の夜、些細な口論の末に父はとうとう暴力を振った。その日に母さんは出ていった。当時高校生だった僕には仕方のないことだと割りきれたけれど、まだ小学生だった美里にとってそれが裏切りに見えたのは当然のことだと思う。
お父さんもお母さんも、大嫌い。
泣きながら呟いた美里の顔は今でも忘れられない。
 大学に進学したと同時に、僕は家を出た。美里を一人にさせないため、そう遠くない場所にアパートを借りた。狭い部屋だったが居心地は良かった。美里にとってもそれは同じだったようで、毎日のように家に来ていた。
 就職先が決まったことを父に報告するため一度だけ実家に帰ったが、やけに廊下が冷たかったことしか覚えていない。
「顔も大人っぽくなって、背も伸びたわね」
「高校に入ってから、ぐんと伸びたんだ」
「サッカーも続けてたの?」
「もちろん。今も社会人の集まりに顔を出してるくらいだよ」
 中学時代の体育の授業では前から数えた方が早かった。サッカーをやっている奴は身長が伸びない、なんて耳にしたことがあるが、僕は運良くそれに当てはまらなかったらしい。
 幼い頃から好きだったサッカーは今でも続けていて、母さんがそれを覚えていたことは少し嬉しかった。
「でも、よく僕のことがわかったね」
 九年間という歳月は短いものじゃない。僕の外見は大きく変わったと思う。中学の同級生だって、今の僕に会ってすぐにわかるとは思えない。
「自分の子供くらいすぐにわかるわよ」
 屈託なく、笑う。
「悠司だって、よく母さんだってわかったわね」
「そりゃあ、自分の親くらいね」
 僕達は顔を見合わせて笑った。離れていても、やっぱり僕と母さんは親子だったのだ。
 そして一瞬の間が空き、その笑顔を曇らせた。
「…謝っても仕方のないことだけど」
「いいよ」
続けられるだろう謝罪を強く遮る。
「別に、母さんが悪かったわけじゃない」
 一度も手をつけらることのなかったメープル・ラテの容器は、すっかりと汗をかいていた。
母さんはそれに触れるでもなく、ただ僕を見つめていた。



 外に出ると西陽が傾いていた。射すようなオレンジの光が、道を照らしている。
「じゃあ、そろそろ行くわね」
「あぁ」
 何か言うべきことはないか、伝えるべきことはないか。
考えてみたけれど、うまく言葉が出てこなかった。
 夕風に頬が撫でられ、僕の影だけがうっすらと細く伸びていく。
微笑む母さんの頬が橙に染まる。
 なぜ、戻ってきてくれなかったのか。なぜ、これからもそばにいてくれないのか。
いくつものなぜがあり、そしていくつもの答えが想像できた。けれど、それらはすべてどうでもいいことだった。
一番のなぜが目の前にあり、そしてそれの答えだけははっきりとわかる。
 なぜ母さんがここにいるのか。それはきっと、僕に会いたかったのだ。そこに理由なんてなければ説明もいらない。ただ僕と会って話をしたかった。それ以上でも以下でもない。
 一歩近寄る。こんなにも母さんは背が低かったろうか?いや、きっと僕の背が随分と伸びてしまったのだろう。母さんのいない間に。
 あぁ、大人になってしまったんだ、僕は。
「母さん…あのさ」
 ひとつだけ、言いたいことが見つかった。
「シフォンケーキ、すごく美味かったよ」
平静を保とうとしたら、物凄く淡白な口調になってしまった。
 もっと気の利いた言葉があるはずだ。こういう場面に相応しい、感動的な言葉があるはずだった。
それでも、母さんの作ったシフォンケーキの味が忘れられないんだ。本当はもっと食べたかったんだ。意地を張らずに食べれば良かったんだ。


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