『LIFE LINE』前編-3
夏休みの一ヵ月を使って、僕は学校の夏期講習を受けることにした。ウチの高校では毎年この時期になると、県内の大学や進学塾から特勤講師を招いて受験生のサポートをしている。
大学を目指す生徒は殆どがこの講習に参加していて、僕も例外に漏れず受けることにした。
父さんはおそらく僕の進学を希望しているのだろう。別に父親の言いなりになろうとしているわけではないけど、とにかく夏期講習だけ受けていれば、父さんが帰ってきたときにうるさく言われることはない。
それが僕の理由だった。
始業ベルが鳴る五分前に僕は教室に入った。
窓際の空いている席に適当に腰を下ろし、講習が始まるまで時間をつぶしていた。
チャイムが鳴る。
教室のドアが開いて、誰かが入ってきた。
それを合図に雑談をしていた生徒も、勉強をしていた生徒もおとなしく席に座った。
シンと静まり返る教室の中で、その人は真っすぐ教壇に立ち皆を一瞥した。
僕は顔を上げたその人を、驚いて見なおした。
「初めまして、今日からこのクラスを担当する棗です」
僕はノートを開きかけていた手を、止めた。
あの人だ、と思った。
棗と名乗った女性講師は一通り挨拶を終えると出席をとりはじめた。
また会いたいとは思っていたけど、まさかこんなに早く彼女に会えるなんて・・・。
しかも、新しい特勤講師としてだ。
嬉しいような、苦いような複雑な気持ちだった。
誰もいなくなった教室で、僕は一人居残って勉強を続けていた。
黙々とペンを走らせながらぼんやりとどこかから聞こえてくる蝉の音に耳を傾けていた。
本当なら早く帰って冷房の効いた部屋にでも逃げ込みたいところなのだが、そうもいかなかった。
午前の講習が全く身に入らなかったからだ。
偶然が重なって再び現われた彼女に僕は頭が一杯になり、気付いた頃には終業のチャイムが鳴っていた。
当の彼女といえば、出席の際にチラッと目が合っただけで後は完全に無視だった。 もしかしたら僕のことなど覚えていなかったのかもしれない。
そう見えてしまうほど、教壇に立っている彼女は実に淡々と授業を進めていた。
「はぁ・・・」
僕は何をやっているのだろう。
もう高三の夏になるというのに、せっかく受けにきた講習をこんな形で無駄にしてしまうなんて・・・。
もともとあまり乗り気ではなかった勉強も、父さんのことを考えるとこの夏の間に成績を上げなくては意味がないのに。
そうやって小一時間ほど没頭していただろうか。
気がつくと空が少し白んでいた。グラウンドから聞こえていた野球部の声も、いつしか遠くの方に消えてしまっていた。
そこで、やっと一息をついたところだった。